長崎市立城山小学校(旧城山国民学校)は1945年8月9日11時2分、一発の原子爆弾のため校舎は破壊消失し、教職員28名、児童1,400余名と当時本校で事務をとっていた三菱兵器製作所員・挺身隊員・学徒報国隊員などの105名が爆死した。 城山小学校の現在の校舎と被爆校舎の間には、『少年平和像』 が立っています。 戦争、原爆ですべてを失った城山小学校の児童が、平和を希求して立ち上がる姿を象ったものです。 製作者は富永良雄さんで、1951(昭和26)年8月8日に作られました。 モデルの少年は、当時5年生で父母を原爆で亡くしました。 台座の「平和」の文字は、当時6年生だった菅原耐子さんの書です。耐子さんは、1年生の時に被爆しましたが奇跡的に助かりました。この紙芝居は、家族5人を亡くしたその菅原耐子さんの被爆体験です。
また長崎市立山里小学校(旧山里国民学校)の「あの子らの碑」の紙芝居も上演されました。
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