長崎県立大学の看護学科の学生が、被爆者から聞き取りをしている。その被爆体験のことだけでなく、その後どう生きて来られたかを調べているとのことだ。
この日(8/30)は、長崎県立大の吉田先生からのご依頼を受け、戦後5代(岡田~大橋~田川~諸谷~本島)の長崎市長に仕えて来た元収入役林田進が学生たちにその体験を語った。林田進は私の父だ。
父は耳は遠いが(補聴器をあえてつけていない)、95歳にしてはしっかりと話をしたのには感心した。
ただ母の被爆のこと(三菱兵器茂里町工場、爆心地から1.2kmで被爆)、被爆二世のこと(被爆二世の定義)などについてはあまり分かってなかったことには正直驚きだった。
ひょっとしたら母は自分の被爆について、父にも語らなかったかも知れない。
おそらく二人とも被爆のことは心の奥に押し込めて(思い出したくない、言葉にできない)、被爆後の日々の生活に一生懸命だったのだろう。そんなものかも知れない。
被爆者から話を聞けるのはもうギリギリだ。
身近に語れる方がいたら、ぜひご紹介いただきたい。