【長崎の文化バランスについて】 |
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おくんち、お盆、ランタンフェスがすべて平和に共存している長崎ならではの特別な土壌 |
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長崎の文化として地元も納得して定着している文化である一つの形ある表現、しかも非常に伝統的に形を整えた無形の文化としてそれらは先発である |
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魚の町に住んでいて、おくんちに参加して初めて参加すること自体が名誉であり、奉納踊りであるという気持ちも加わり、市民の自発的な意志が働いていることが実感された |
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その一つ一つをトライアングル(正三角形)で組み合わせると、その下の面に数えられるのも忘れられたような底の面としてのキリスト教的なものがある。それは市民の文化の形としては何となく存在感が薄い
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【長崎人気質・イベントタイプ】
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今日ここに集まっている人々の気持ちは I LOVE
NAGASAKI だと思う |
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人が集まりコミュニケーションすること=イベントである |
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単なる観光ではなく、街全体が燃えなければならない 燃えるもの=自発的であること、非日常なことを行う新しいものを入れてゆく、みんなで育てるという面では、継続できるものにしなければならないが、そのためにはある程度利益の出るものにする |
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「教会と音楽」は『祈り・音楽・カーニバル』とイメージする |
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クリスチャンの中で旗振り役の人が現れるのが良い
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行政や何処かの団体があってそこがやる...というより、市民が中心となって、長崎の大切な文化であるという意識から行われることが大事 |
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このようなシンポジウムは長崎駅前などに押し出して、若い中学生や高校生などにも入ってもらうことを考えて |
【文化ビジョン】 |
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文化を50年スパンで考えると長崎の過去50年は戦後からの立ち直りをともなう静かな文化の50年であった次の50年は世界の聖地として、異文化融合の聖地として、平和のシンボル、静かさとともに明るさ、楽しさという、新しい長崎の文化を考えたい
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【立場を超えて】 |
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信仰にある・ないといったような立場を超越したところで共有できる部分があると感じてこのような機会を捉えたい |
【聖域とすべきもの】 |
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浦上教会は小教区の一つでありつつも長崎大司教区の本部教会であり、カテドラルといわれる司教座聖堂である |
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各小教区の教会では主任司祭の権限が強いが、浦上天主堂については長崎教区の権威者である教区長(大司教)の座があるので司教座聖堂と呼ばれ、ヒエラルキーが存在している |
【クリスチャンから見た現在の教会の流れ】
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教会は特に長崎では、長い間純粋な祈りの場である、特にキリスト教的な祈りをする人々の祈りの家であるということが非常に長い間支配的な見方であった |
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長崎に日本の半数以上の教会が集まっているのは、そこに信仰の力が働いていることを抜きには語れない
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ヨーロッパではそれに加えて、ミサや秘蹟などの祭儀とは直接関わりのない、音楽、演奏の奉納の場として一般に開かれている
(例としてイタリアの小さな路地にあったチャペルの例、チェコの市役所前広場のビラ配りのプログラムの例、マニラのノアの箱舟を題材にした毎年上演されるミュージカルの例、カナダトロントのオーケストラ付ミサの例、日本では東京目白にある聖マリアカテドラルの西洋音楽コンサートの例など...) |
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長崎では小澤征爾氏指揮による<ながさき『復活』コンサート>が、長崎におけるミサや式とは関係なしに演奏会が正式に行われた最初のものであった、その他中町教会などの例もある
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教会をコンサートのために一般の人々に開くという一つの流れにやっとなってきているが、手放しで喜んでいる人ばかりではない
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【教会の新しい胎動】
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教会という空間を信者たちだけのものでなしに、一般社会との教会音楽を通じた良い、平和を考える、交流する場として提供できてゆくことは今の時代の要求ではないかという考えを持っている |
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そのような祭事以外のことで教会の一つ一つの大きな事業のようなものが立ち上がって、教会がそうしたものに対するスタンスを確立するのは今からだと思われる
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【教会の内と外】
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教会に内在している無形遺産とも言える、キリスト教に関わる文化を掘り起こし、きちっと纏めて復元できるもの(例えば聖体行列など)は復元し、世界に発信することにより、長崎の教会群を世界遺産とする上での推進力としたい |
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建築家の立場として、浦上の信徒会館や浦上天主堂内のパイプオルガンの設計・設置をした立場から言うと、建築は生まれてから死ぬまでのその間のいろいろな施設を作るという仕事であるが、教会という固有名詞の建物はヨーロッパではほとんどが石造りだが、長崎の建造物は限られた残響時間のなかでも何とか工夫して音楽が演奏されればと思う
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そういう意味では、長崎のキリスト教文化を、音楽という文化、そして教会建造物とを組み合わせたある種の文化表現があってもいいように思う。そのような文化表現は長崎ではまだあまり考えられていない
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【普遍的なもの】
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長崎は信仰深い土地、平和を大切にする土地というイメージがあるが、世界連邦日本宗教委員会が昨年11月に浦上天主堂を会場として平和推進運動を行った。仏教、キリスト教、神道などの諸宗教が共同で祈りと儀式の交換をおこなった。長崎以外ではできなかったのでは...という感想も聞かれた
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人々の心のピュアな部分とエゴの部分を統合するために、神の普遍的部分を取り出すことや、宗教の普遍化の部分を取り出す...といった長崎ならではの新しい文化ビジョンを
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【押さえておくポイント】 |
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小澤征爾規模のものはそうそうできるものではないので、長崎のカトリックの学校にある優秀な合唱団などをクローズアップするなども含めて、どのように地元を活かし、市民が教会に入っていけるか具体的な提案を... |
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教会コンサートのあり方については最初からある程度まじめに取り組んでいく必要がある |