@@alt11@@ フューチャートップ>天球の諧調>前座の議事録

アジェンダ会議 

前座の集い
  日時:2004.3.13(土)19:00〜 於:ホテルニュー長崎

【ご出席】

宮本 誠氏 建築設計事務所会長、カトリック大司教区本部や浦上教会信徒会館設計者
野下千年氏 カトリック黒崎教会主任司祭、オペラ「26人の殉教」企画制作者
柿森和年氏 長崎の教会群を世界遺産に登録する会事務局長
ブライアン・バークガフニ氏 長崎総合科学大学教授。インドを経て京都の禅寺にて禅の修行を経験
櫻木祐宏氏 長崎県職員、個人として賛同
鮎川和代 MCSオフィスルーム代表、アジェンダ企画制作

--- 出席の方々の名刺交換や会話がしばし続いた後 ---

鮎川: 今日お集まりいただくに至った経緯についてしばらく鮎川からご説明させていただきたい。

最近キリシタン関連の様々な動きがあることについては私自身も良く承知している。私自身は今から2年ほど前に黒崎教会に野下神父をお訪ねしたことがある。その時は1995年に開催された"ながさき『復活』コンサート"の会場を浦上天主堂にするにあたって、最初にカトリック教会側に会って話をした経緯や、その折にカトリック教会の方からも、カトリック長崎大司教区は枢機卿を頂く特異な教区なので、特別なミサの場合に典礼オーケストラを編成してもらえないだろうか...という要望を承ったことをお話した。野下神父は今まで何度もそのような話が持ち上がったが、誰も今まで実現しようとはしなかった...という話をされた。一方、ながさき『復活』コンサートの方は企業主導となり、継続しない単発の企画となった。そして今日に至っている ...ということを話した。

2年前に野下神父を訪ねて以来、2年の月日が流れているが、やっとカードが少しずつそろい始めたので、今回、アジェンダ会議を5月から7月に掛けて行い、そうした教会を中心とした祝祭などと絡めた市民レベルでのムーブメントへと繋いでゆきたいと考える。

一人で展開できる内容ではないので、関係の方々に今日はお集まりいただいた。特にカトリック教会と連携して、双方向での企画立案、推進を目指したいと思うので、教会としての視点など、また教会として普段感じておられることなどを伺いたい。

---検証---

野下: 確かにヨーロッパでの教会利用をすることは常識となっている。信仰表明の現れ、また文化として一般市民に開かれた現象だったが、長崎は閉じたまま。

最近、少しずつ試みているようで、可能性もある。これからそうした意味で教会の価値は見直されると思う。復活コンサートを機に、そして浦上教会を皮切りとしてバッハの曲や、あるいは吉永小百合さんの朗読などもあり、実績を重ねているので可能性を秘めている。

世界遺産のキャンペーンとして島々でも行われ始めているので、教会利用を見直す時期に来ているという点で、鮎川さんと同意している。

雲仙では5月に、教会内部としての動きではあるが、環境庁の許可を取り付けて雲仙の地獄を舞台に春のミサ、巡礼を韓国などからも来て行われている。

5月17日(第2日曜日)に"雲仙殉教祭"があるが、場所の問題や天候の不安定さから実際には3年に1度位しか屋外ではミサが行えない。教会もスペースとして狭い。が、町をあげての協力で、コミュニティーセンターでの開催となり、オペラ公演なども行い、定着しつつある。これが土産品店などの売上など、観光にもつながっている。大浦天主堂でも〇〇〇頃にはミサが行われ、入りきれないほどの市民が訪れる。また8月8、9日は平和巡回だが、 9日夜は平和トーチ行列を行った実績もある。

祭りとしての定番として、平和の祈りとしての定着を考えると復活コンサートが行われた春つまりイースターの頃が最適で、春のイベントとしての可能性は大いにある。

鮎川: 桜木氏は冬のクリスマスと春のイースターはシーズンとしてキリスト教に関連した祝祭が出来るのではないかと考えていましたね。

櫻木: 私の現在の仕事はベンチャー・地場を盛り上げる本業のなかで、視点は行き着くところ、民度の啓蒙だと考える。

産業振興のイベントとして、長崎ではペーロン、ランタンを始め中国系ばかりが並んでいる。ねらい目は5月=春であり、よそには出来ないイベントの実行、それもキリスト教的な教義にのっとったものを考えることが出来ないか。日本の前身は、文化・コンペティター的な部分においてキリスト教的なものはどこを探してもなかった。現在の商習慣にはキリスト教における契約の概念が深く根底にあるのだが、日本の商習慣にはそこを理解できずに以前からのあいまいな商習慣が残っているため、今日の不良債権といった事態を招いている。そうした意味でキリスト教的なものは、現在日本全国探してみても、横浜・神戸・札幌・長崎しか見当たらないが、長崎はもともと育んできた財産をなぜ有効に用いないのか、他所の土地から来た者として不思議で仕方がない。地域の特徴がもともと備わっていることもあり、長崎自体が発信源となれる。

文化を自然に学べる場所として長崎にあるものを認識すること、そしてなにより"競争相手が少ない"という絶対優位に立てる地盤が出来ている。ヨーロッパ社会で日常的に教えられるキリスト教の教義を、それこそ長崎では公立の中学校などで教えるくらいのことはやってみてはどうだろう。

バークガフニ:現実的に考えても公共の教育機関で政治や宗教に関わる教育はご法度であり、神学の教育は難しい。自然発生的なものであれば可能であるが。キリシタンの歴史で潜伏や迫害に耐えて実際に信仰の自由が認められた幕末〜明治政府になってからも僅か130年から140年程度の歴史しかないものが、日本のそれまでの2千年の風土や歴史にはとても勝てるものではない。

櫻木: キリシタン文化に因んだものとして神戸などに例が見られるようにイルミネーションによるルミナリエなどはあちこちでやっているが、ソフトとして長崎でやってみるのもいいのではないか...

バークガフニ:私自身、イベントとか違和感がある。売込みとしての長崎のキリスト教文化には、抵抗があると考えるが...。例えばあのランタンフェスティヴァルがなぜあのように根付いたかを考えると、新地に住む中国の人々が自分達の先祖を供養しようとして始めたのがきっかけであって、イベント思考で最初から考えていたとは思わない。何かを演出するということも私には抵抗がある。

鮎川: 今仰ったようにイベントとして考えたいと言う櫻木さんのような視点もあれば長崎の重たい過去の歴史を引きずるキリスト教徒の気持ちもあるが、できればこのような話の場を通じて共通の認識が出来れば、そしてそのなかでどのような実行主体がいいのか考えるのが最善だと思っている。

バークガフニ:自分達の節目として外から見て本物だ!と思ってもらえるような重要な価値を持つものがそこで行われている...そして結果として人を引き付けるものであるというのが本来の在り方だと思う。

櫻木: 長崎のアイデンティティーとしての認識が必要だと思う。

バークガフニ:教会中心に信者の人が持つイメージがある。

宮本: 教会側が受け入れることが出来るのか?信者の方が主催するとOKなのか?クリスマスの時にヨーロッパに行ったが、街全体にクリスマスの統一感があって、とてもよい雰囲気だった。

バークガフニ:広く市民との接点を作るという意味で屋外ミサは会場を外に持ってゆき、多くの人がキリスト教文化や歴史に触れる機会を増やすことが出来る。ただ、信者の皆さんの希望・理解なしには出来ない。

柿森: 私もブライアンさんと同じ考えだ。長崎の教会が内内にこもっていて、信仰が外に出る事はなく内に入っていたが、表に出す時代に来ていると思う。世界レベルに長崎を持ってゆくことを考えている。信仰として信者が楽しめるような何かを作ってゆくべきである。

野下:
多くの人が日常生活レベルで交流を深める、親しく付き合うということを行いたい。それは世界の平和のためであり、人権を考えてのことだ。異宗教間交流の基本的アプローチとして現ローマ教皇が示した四原則がある。

1. 日常生活レベルの親交   2. 平和・人権を守る愛の共同活動
3. 祈りの体験交換       4.神学レベルのこと


ということを行うことだ。教皇ヨハネパウロ二世が2002年にアッシジに行って世界の宗教家を集めたのも、そのことを願っておこなった。自らのアピールのもとでも世界の平和が進まないことに焦りを感じてのことだった。

バークガフニ:
長崎でも進みませんか?

野下: 進みませんね。神聖な信仰の場としての葛藤がある。昨年世界連邦宗教者会議を行った。いろいろな他宗教が一堂に浦上天主堂に会して平和のための祈りを捧げた。祭壇に上がってきてもらって、彼らの宗教儀式をそこでやっていただくことにした。浦上の信者の中にはそのことを訝しく思う人たちもいたと思うが、私は来ていただいたお客様を玄関先ではなく、奥座敷までお通しして宗教的な部分を納得行く形でやっていただくように促した。ご神体がなくてはやりにくい、キリスト像に向かってお経を?...という向きもあったので、どうぞ仏像も祭壇に置いてくださるようにと促した。

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野下: 観光客が少ない時期の長崎全体の活性化を考える。長崎の内から滲み出たものとして音楽があり、芸術として、いい宗教音楽があって、全国から音楽家やプレイヤーたちが長崎に集う...見え見えの作られた形ではなく、何かが生まれてもいいと思う。

鮎川: 私は多くの人々にグレゴリオ聖歌を聴く機会が持てたらいいと思っている。ある商社の方が言っていた。グレゴリオ聖歌が聴けると言っても誰もどんなものか知らないし、聴きに行きたいとは思わないのではないか...と。しかし集まって頂いているその方々にグレゴリオ聖歌を聴いてもらうことは出来るし、その素晴らしさを初めて味わってもらうことも可能だ。

昨年浦上天主堂でパイプオルガンのリサイタルがあったが、その前座で純心中学のコールマリエ合唱団がグレゴリオ聖歌を歌ったが、プログラムにはなかったので、聴いているその瞬間にその場に居合わせたことがとてもありがたく、印象に残った。祈りや礼拝は通常言葉によるものと云う風に考えられているが、同じような敬虔な気持ちで奏でる音楽や歌は、言葉による祈りにも匹敵するものだ...と私は常々考えてる。

そのように宗教音楽には人々の心を純化する働きがあると私は常々思っているのでそうした音楽を人々に聞いていただく機会を作りたい。とにかく音楽には理屈がいらない。ただ、聴こえてくるだけでそこに作用が現れて来る。

野下: 大浦天主堂の前の石畳を交通規制してでも、いい場所となる。毎年2月5日に二十六聖人の殉教慰霊祭があるが、私は例えば毎年さだまさしが夏に稲佐山の頂上の野外音楽堂でやっているような方法で、オーケストラを呼んで復活祭などで、出来れば市民・プレイヤー・信者が一体となって"生きたミサ"としてやっていけるのではないかと思う。浦上天主堂ではオーケストラが祭壇の直前まで並んだとしても座席をかなり押しやることになり、実際に聞けるのは1000人程度となりかねず、オーケストラとミサとの協働は場所的に限度である。

バークガフニ:復活祭という意味では春は確かにマッチしている。

野下: そういうものが長崎にあってもいいと思う。

バークガフニ:平和としてのイベントが長崎には合っている。

鮎川:
先ほどお話になった宗教者会議は世界平和を祈念してのものだったが、野下神父にはなにかそのような雛型を以前に経験されたとうかがっているが...

野下: 今から30年も前のこと。アメリカのニューヨークで演出したのは日本の大木神父と米国の英国聖公会で、私も参加したが、仏教徒の読経があり、ミサの中に琴あり、法話あり、典礼舞踊も行われた。

バークガフニ:信者からの反発はなかったか?

野下: なかった。あとに何かあったかも知れないが私は知らない。

バークガフニ:私はカナダのケベックでダライ・ラマが教会に来て法話を行ったのを見た。とても深い印象を受けて会場を出たら、そこにはデモ隊が押し寄せていたので驚いた。

このアジェンダはカトリックを前面に出して、キリストをテーマとして宗教全体を考えることが出来る企画になりそうな気もする。長崎の地元から発信したものとして、参加したい方が広く参加できる形がいい。

野下: "長崎だから出来る"

バークガフニ:私もそう思う。また平和=原爆というイメージを変えたい。

鮎川: 夏のあの暑い時期に核兵器廃絶、と言ったメッセージは本当にやり切れない気がいつもしていた。もっと静かな火を年中穏やかに灯せないのか...と思う。

野下: 私達もミサのなかでは被爆都市という表現は極力避けるようにしている。お互いに受け入れ合う、文化を創るということを長崎から発信したい。

バークガフニ:
日本でのアイデンティティを忘れないで...

野下: 全体の形を取り込んでも、それぞれ長崎の歴史の中でカトリックは、他所では出来ないことが融合できる。

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宮本: 教会の中での音楽の演奏は信者の方々の理解があってこそ出来る。鮎川さんは教会の中で音楽を...というのが夢ですか?

鮎川:
はじめにも言いましたが、私は"ながさき『復活』コンサート"の会場の件で最初にお目に掛かった神父様がおっしゃった、特別なケースのミサの折に典礼オーケストラを...と教会側から要望があったのが原点として残っている。

宮本
教会の中(ベルリンの教会)でバッハの演奏会などを聴いたが、大変重厚であった。ヨーロッパでは頻繁にやっているようだ。

野下: 教会を単に演奏会場として使うようなことであれば、これまでも復活コンサートを始めとして数回行われていて決して珍しくもないが、ミサの中でのオーケストラはまだやったことがない。復活祭などのミサで典礼オーケストラはやれるだろう。

鮎川: カトリックセンターの典礼担当責任者の神父と会った折に、教会側も常時オーケストラを構えることはできないが、何かの必要があって、例えば夏の平和の祈りなどのケースでオーケストラが必要であれば、あなたはやってくれるか...と聞かれたので、それはもう、是非やりたい...と言った。このようなことは誰でも出来ることだとは思わない。教会の主だった方が希望されるのであれば、私はその神父の方々の手足となって出来ることをやらせていただきたいと思っている。

宮本: 建築家の立場としては教会での音楽は素晴らしいと思います。ただところによっては明瞭感に欠ける教会もあるが、浦上に限っては明瞭に聞こえてきて、屋外のステージよりも良いと思う。

---------話はパイプオルガンへ--------

宮本: パイプオルガンの設置されている教会というと...浦上天主堂。

バークガフニ:
活水大学のチャペルにもある。

宮本: どちらもイギリス製のもの。

野下: あと、平戸の紐差教会、佐世保の俵町教会にもある。

宮本:
パイプオルガンは演奏は大変なのか?どうやってやるのか?

鮎川: あの楽器は私にはわからない。ただ、たくさんのレバーがあるので一人では演奏できないレバーを操作する人がスタンバイしなければならないと思う。

野下: 曲にもよる。レバー操作のいらない曲も作曲家によってはある。

宮本: パイプオルガンは祭壇の反対側にあるので、客席からは見えないが...

鮎川: 昨年のコンサートでは正面祭壇の左側にスクリーンを置いて、実際の演奏の模様を見えるようにしていた。

野下: それもどうかと思う。

鮎川: 一曲ずつ終わるごとに、聴衆の拍手に応えてオルガン奏者は毎回演奏が終わるごとに2階のバルコニーまで出てきて聴衆に向かってお辞儀をしていた。

バークガフニ:カナダでは教会でギターの演奏をやったりもする。

鮎川: それはもしかしたら野下神父が仰っていたフランスの新しい聖歌の形「テゼ」のことではないのか?

バークガフニ:いや、ただギター1本で普通に演奏する形のものだ。

野下: カナダというと光とサウンドが特徴ですね。オタワの国会議事堂の広場とか、ケベックのカテドラルとか。チャペル=教会と結びつけると、屋外のイメージではないですね。柿森さんがやっている事が、音楽をやることで市民の足が教会に向いて、コンサートホールでは味わえないものが教会音楽として味わえる。また"平和の祈り"として平和記念像の前でオーケス
トラを従えたコンサートを行うことだって出来る。

柿森:
アジェンダ会議をやるのはわかるが、ある程度素案的なものを論じていないと難しい。イメージ的なものを掴めていないが。

宮本: 具体的なテーマの内容、第1回目の内容は詰めてあるのか?

鮎川: まだ何も詰めていない。というより今日お集まりいただくまでのことで精一杯だった。そのために企画書を何度も修正してきた。またこれまでは私はお目にかかったこの場に出席していただいた方々と個別に会って話をしてきた。しかしやはり全員で話をするといろいろと展開が容易になる。それで、あくまでもこのような擦り合わせの機会を通じて、みんなで共通
の認識を持った上で、そうしたテーマについても擦り合わせたいと考えている。その輪に希望する人なら誰でも参加できるといいと思っている。それは古代ギリシャの哲人たちが行ったように、道を行き交う人だれとでも議論し合ったようなイメージを持っている。

入場についても登録制と一般の入場制の2本立てを考えているが、人々に知っていただく上でも、例えば柿森さんには今話題となっているネットワークをお持ちでいらっしゃるし、野下神父様には橋本神父とともに信者の方々へのフォローをお願いしたいと思っているし、進めていただければと考えている。

野下: 場所は計画の段階として、教会のなかでやりたいのですか?

鮎川: アジェンダの会場として...ということですか?それであれば、最初から教会でというと近づきがたく感じる人もいると思うので、まず抵抗なく集まってもらえる旧香港上海銀行という場所でやって、そこで教会の魅力などに触れてもらってから、教会に行ってみたいと思ってもらう方がいいと思う。

柿森: 今日、このように集まって話を出来たことは大変いいことだと思う。キリスト文化を長崎の中に位置付け、市民が教会について論じ合って、そのあとから、そのようなイベントがついてくるもの。仕掛けをしてゆく在り方を論じて、目標を持って進めていったほうが判りやすい。

バークガフニ:とにかくやってみることだと思う。

鮎川: アジェンダ会議をステップに、実際に何が展開できるかを考えることになると思う。まず長崎の市民が過去に置き忘れてきたものを取り戻す...と言ったらいいか。そして過去から現在の私達、そして未来への理想とする在り方をアジェンダとして作って行く...音楽だけに限定せず、音楽だと話が出来難いと感じる人もいると思うので、音楽は理屈抜きに休憩のタイミングでも構わないから聴いていただく形でもよいと思う。

宮本: 第一回目にはどんな人を集めて、何人くらいでするつもりなのか?

鮎川: 今日お集まりいただいている方々は全員がオピニオンリーダーだと考えている。そして私がこれから話すとすると私が接点を持っている会社の代表者や支店長の方々に会って話すことになると思う。その場合、趣旨を明確にすることとともに、このような方々が賛同しているということで今日出席していただいた方々のお名前は個人名だけで構わないので、掲載することを了承していただけないかと思っている。

人数に付いて言えば、キャパは100なので、多くて100人。これは実は開催までに共通の土台に皆さんが立って、イーブンで関われないとなった場合に、言い出した責任上で私が一人で集客しなければならない場合、自分自身の力量を考えると100人が限界だと思ってこの会場を選んだ。

野下: "世界遺産"---の肉付けとして、関連事業として行うとなかなか面白いかと思う。音楽を入れることでお互いの相乗効果となる。

柿森: それぞれの立場で教会を盛り上げる...今年は横浜で長崎の教会の価値をアピールする予定だ。これはボランティアベースだ。

バークガフニ:ボランティアベースでお願いしてもいいと思う。企業が遺産のために継続的に遺産プロジェクトに支払う形でサポートしてほしい。私も教会での音楽は、相乗効果があっていいと思う。市民レベルで楽しめて、市民に根付いてゆく。融合策として持っていける。

宮本: 世界遺産の一環として、このアジェンダを持っていった方が判りやすい。

柿森: 音楽的な価値のあるもので世界遺産を盛り上げて、そのひとつとして文化の残る祭りが根付いてほしい。

野下: なんらかの形で調和の取れたものとして、何かしてあげる...考えていることは同じなの
で、末永く教会を守り通す...という運動の価値をお互いに認め合うということだ。

宮本: 何をしたいのか判り難い部分を"世界遺産を盛り上げるため"ということにすると大儀も立つ。

鮎川: その方が判りやすいと皆さんが合意されるのであれば、私はそれに従う。

野下: いろんな条件を統合して形の見えるものにしたい。

全員: ソフト面としての事業を一緒に進めて、価値を付ける(付加価値)ことを、あなたの元でやる価値としたい。

鮎川: 中身を吹き込むということで、複合遺産とする...

野下: 共同(協働)企画としたらいい。ハードとソフトに分けて世界遺産はハードを扱いこの座ではソフトを受け持つ。浦上に限らず、一つ一つの小さな教会での演奏を行うというのも考えられる。教会巡り、そこに音楽があるのはとてもいいと思う。五島など、巡りの中に小さなアンサンブル等を取り入れたりしている。決して復活のような大きいものを考えることはない、ギター1本でもいいし、市民レベルのものでもいい

バークガフニ:文化庁に教会を見てもらう時に、一緒に音楽を聞いてもらうことが出来る

野下: 文化事業の一環として位置付ければ、市民が集まりやすい

バークガフニ:
ハードとソフトの組み合わせ、多くの人が興味を持ちやすい"教会と音楽"をキャッチフレーズとする。

野下: 展覧会、キリスト教文化、芸術、アート、スライドなど、遺産としてドッキングさせることが可能だ。

宮本: 県民以外の人でも遺産に反対する人はいないでしょう...

野下: 音楽の演奏によって、教会の存在が心に染み込んでくる...それが肝心なことだ。

宮本: 教会のよさを知らしめてゆくという大義がある。

            以上で閉会

--- 天球アジェンダ企画制作より ---

   以上を元に、具体的アジェンダを3回にわたって詰めることになり、その日程については
  お手元の案内カード「天球の諧調」にある通りです。テーマについてはアジェンダを詰め
  ながらの作業になるので、初回の方向のみ決めています。

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