2005年8月8日 第33回原爆殉難者慰霊祭
米国アリゾナ記念館館長 ダグラス・A・レンツ氏 慰霊の言葉 訳文


 長崎原爆殉難者の御霊のみ前に申し上げます。

また、長崎宗教者懇話会の皆様、ご来賓の皆様、志を同じくするお仲間の皆様、そしてわが友人の皆様、本日ここにお集りの皆様の前でご挨拶ができますことを嬉しく光栄に存じます。

 私と妻は世界連邦日本宗教委員会からご招待をいただき、こうして日本に来られましたことをありがたく思っています。
 世界連邦日本宗教委員会の皆様は、12月7日に開催されますハワイでのパールハーバー追悼記念式典に過去23年間にわたって毎年参列され、平和と和解のために積極的な役割を果たしていらっしゃいます。

 毎年春になると開花する桜は、日本では人間の魂の象徴的なものとされています、つまり長い年月にわたって日本の文化が変質をとげながらより良いものに高められていくその象徴が桜の木であると聞いています。
 私はよく、アメリカの首都ワシントンD.C.にある桜の木が美しい花を咲かせ春を告げる場面を思い浮かべます。そして日本からアメリカ合衆国へプレゼントされたこれらの桜は、首都ワシントンを訪れた多くの国民にどんなにか影響力を与えているのだろうと思いをめぐらせます。

 私は昔から、自然というものに心を打たれ、歴史に興味をもってきました。
私が所属しています「合衆国国立公園サービス」は、未来の人たちがいつまでも楽しみ学ぶことができる文化遺産や自然遺産を守る目的で、設立されました。そのようなところで働くのが私の夢であり、今、その夢が叶っているのです。

 私の責任は決して軽くはありません。アメリカの財産の一つであるアリゾナ記念館を維持・保存していくことに責任を負うことが私の今の立場なのです。

 館長となり私は多くのことを学びました、特に、ただ単に机に座って指示を出すだけが私の職務ではなく、それよりもアリゾナ記念館の価値を理解し、犠牲になった人たちについて理解を深めることがより重要な職務であることを学びました。そして、記念館はアメリカ国民の意識を向上させるのに重要な役割を果たしていることを知ったのです。記念館を訪れた人たちは、アメリカという国の力や弱さ、成功などを学び、触発されたり悲しみをおぼえたりするのです。心を動かされたり、怒りを感じたりするのです。このことは私たちが過去を理解するのに必要なことなのです。

 さきの第2次世界大戦の退役軍人でもある先代のブッシュアメリカ合衆国大統領は、パールハーバー攻撃50周年記念式典で、心に残るスピーチをされました。彼の言葉は私たちを激励するものであり、和解に向かって私たちを大いに導いてくれるものでした。彼は本日と同じような集会の中で話をしました、過去の出来事に敬意を表したかったのです。ブッシュ大統領は以下のように述べました。「今、私が何を感じているのかお話をさせてください。私はドイツ、日本に対して恨みという感情はありません、まったくないのです。そして、失ったものはあるけれども、あなた方の心にも恨みという感情がないことを希望しています。」と彼は演説しました。そして最後に述べました、「私たちは敵を友としたのです。」
 癒しというものは、個々によっても、国によっても違いましょうが、癒していく過程に身を投じることが深い精神的なものへと変わるのです。私にも、皆様と分かち合いたい「許し」に関する思い出があります。

 アリゾナ記念館は多くの人々にとって多くの意味をもっています。私が思うにその中の一つで重要なものに「和解」があげられると思います。
 私が館長に就任してまだ1週間くらいしか経っていないある日のこと、以前お会いしたことのあるディック・フィスケさん(彼はパールハーバー攻撃時の生存者の一人)が、私のオフィスに一人の日本人紳士を連れて来ました。ディックは。吉田次郎という名のその日本人を私に紹介しました。その時吉田さんは新聞記事のコピーをくれました。その中の一枚には彼の写真が掲載されていました。言葉の障壁があり、私と吉田さんの会話は短いものでしたので、その時点ではこの紳士が誰なのかハッキリと理解できませんでした。

 フィスケさんと吉田さんが帰ったので、私はすぐに受取った新聞記事に目を通しました。そこで初めて吉田さんは日本海軍のパイロットであっただけでなく、パールハーバーを攻撃した戦闘機に乗っていたということを理解したのです。私は熱い感情がこみ上げてきました。つまり、攻撃された側と攻撃した側が手を携えて共に私に会いにきてくれたのです。

 私は館長に就任してから、また別のパールハーバー生存者を知りました。その人ヴェレット・ハイランドさんはアリゾナ記念館のボランティアをしています。彼はパールハーバーの攻撃で深い傷を負いました。そして兄弟は硫黄島で戦死しています。彼にとって第2次世界大戦の傷は深いものでしたが、エヴェレットさんは平和への意識を失うことはありませんでした。
 私は、エヴェレットさんがどのようにして心の傷をそんなにうまく自分の中で取り扱っているのかと思いましたが、実は彼には日本人の妻がいて、多くの日本文化を取り入れていることを、やがて知りました。事実、彼は一年のうち数週間をここ日本で過ごしているのです。ここ日本は一人の男性が多くのものを失った場所でもあり、同時に平和と和解を見い出した場所でもあるのです。

 この人たちの話はなんてすばらしいものなのでしょう、彼らだけでなく私たちも、過去を乗り越えることができるのです、許しあうことができるのです、そして自身の行動を通して他の人々に教えていくことができるのです、何故なら行動は言葉よりも強いからです。
 ですから本日、私がこうして海を渡ってきたことで、日本とアメリカ合衆国が和解を続けていくことに支持を表明している私の姿勢を、行動で示せたことをとても光栄に思っているのです。

 慰めと癒しを与えてくれる多くのメモリアルがあります。私はこのメモリアルの一つであるアリゾナ記念館をお預かりしていることを大いに誇りに思っています。私たちは過去を乗り越えた人々の話を語り継ぐことに誇りをもっています。
 最後に申し上げます、広島と長崎を忘れないでいましょう、第2次世界大戦を忘れないでいましょう、それよりむしろ、敬意をもって、思い出し、心に映し出しましょう、そうすることで理解しあえるのです。この相互理解を通して、過去が未来への道しるべとなるのです。そして毎年春になれば、満開の桜を、その繊細な美しさを心に思い浮かべましょう。異なる国と国民が、桜の美しさと平和が同じものであるということに、どうやって気づくことができたのかということを考えてみましょう。

 犠牲者に敬意を奉げることができ、この機会を与えていただきましたことに改めて感謝申し上げます。そして両国間の友情と平和のためにご挨拶をさせていただけましたことに感謝申し上げます。

 ありがとうございました。

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