【聖地について】 |
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日常生活が非常に穏やかで、和やかで、新しい時代の新しい聖地として、過去の遺産だけでなく、今から創ってゆく、今までの文化を無視して軽視してもいけない、その文化を糧として新しい長崎の在り様とを創ってゆく |
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世の中にいろんな文化が混在している、そうしたものをお互いが生かしあってゆく、そして日本の長崎、アジアの長崎、そして世界の長崎。外国の人が長崎にやってくる、そしてそういう人の気持ちに長崎の人が応えられる、異文化融合の聖地 |
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長崎のキリスト教の役割、教会の持つ役割、日本広しと言えども、これほど定着しているところはない。この大きな例外が長崎県、長崎市であり、なぜ長崎がこれほどキリスト教を受け入れてきたか、そしてこれからの長崎で重要な働きを果たす役割を考えてみたい |
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聖地ということばはそういう何かはっきり捕らえらにくい反面、予感させる言葉の響きがある。長崎を聖地にという場合、人の心の中に共感を呼ぶことをベースにすると、共通の認識が期待できる |
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長崎の街を聖地とすると、おのずとそこにいる一人ひとりは立派な人格を持つ、そうすれば、よそから見て長崎の街は燃えている。そう感じ取られる事が大切。根底に聖地という考え方がしっかり貫かれていれば、イベントをやってもその本質は感動、感銘が伴うはずである。 |
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限られた意味で言うならば、神のみ教えに述べられていること、あるいは弾圧によって神のために血が流されたところ、人の命が捧げられたところという意味において、「聖地」という意味を含んでいる。そして結果的に長崎に教会が残っていることも聖地の要素かも知れない。信徒の数も全国でも一番多い、キリスト教徒、そういう意味で、神・祈り・宣教の歴史から来る聖地がある
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今一つは原爆というものが弾圧、こういう弾圧を貫いたあとに、戦争弾圧を体験したあとに、私たちは限りなく平和を望むようになった。平和を望むと言う意味での聖地 |
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神に関わる聖地、そして新たな平和を追求する祈りの聖地、いろんな諸文化を受け入れあう愛についての聖地、そういう意味で、こういうものを複合して、ほかの3つも呼応できるような力のあるイベントを特色とする聖地 |
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ただ単にキリスト教だけを表に打ち出そうとしない、それと同時に他宗教、他宗教の何かが、私たちが今目指しているものの中に一緒に大事にされるという意味で、歴史的に違った形で出てきたイベントを、多様性をまとめ上げる長崎、そういう意味で今後私たちが目指しているものがハーモニーとして融合するような役割を果たせたら |
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たくさんの人たちが日本で殉教した。イエズス会からみると日本の地は聖地であり、その中でも主たる殉教の地は長崎が占めている。今現在古い教会がたくさんあるんですが、そういう聖なる感動するドラマだとか、いろんな潜伏クリスチャンたちが信仰を守ったそういう事実は少なくない
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ザビエルからいままでの出来たらそういうキリシタン文化を市民レベルにするために立ち上げ、そこに新しい何か文化を作ってゆく、それがひいては地元に、住んでいる人が楽しまなければなりませんね、ヨーロッパでは家族ぐるみでテントを張って、そこにぶどう酒があって、近所の人たちと語り合って、そこで喜びだとか趣味の話だとかコミュニケーションをとって、楽しい信仰生活と併せて人間らしい膝と膝を交えた、温かみのある交流をする、そういう身近な聖地 |
【現状】 |
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長崎の人が勉強してない...歴史を踏まえてない...その結果、街づくりにおいても失望感が漂う。長崎に惹かれた理由の一つは、キリスト教の教会が長崎の街の中に溶け込んで、何の違和感もないところ。
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実際に歴史を見るとクリスチャン弾圧という長い歴史があり、明治の時代にキリスト教の解禁があって、信教の自由が認められたが、その後もキリスト教の信仰に関わる差別なども存在した。日本の社会は祈りの多様性を認めない一面があって、それと違う法則は一線を引かれてしまうという日本の社会、伝統の壁がある。
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【諸宗教の融合について】 |
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私の中でキリスト教と仏教というものは共存している、私にとっては決して矛盾するものではないということ。出来ればキリスト教の良いところと仏教を調和させたらと普段から考えている。 |
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長崎で聖地を目指そうとすれば固有名詞の神ではなくて、人類に共通性のある神、宗教を目指すということだろう |
【長崎のクリスチャン】 |
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長崎でクリスチャンの方々には守りの姿勢がある。一方で長崎の教区について危機意識をもっている信者が多い。長崎の教会自体が動かない、という現実に突き当たる。街全体が鎖国状態、教会自体も開かれないといけないところに、長崎の人と一緒になって鎖国状態をやっている。 |
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長崎の信者は素晴らしい信仰を持っていることに対し自覚を...。長崎では安心して教会に通える。 |
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教会を活用するために信者の気持ちをもっと外に向ける。ミサの礼拝後、教会を交流の場に。そういう意味で教会は人々の心をどこか一本の線でつなぐハブのような役割を果たす。 |
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祈りの家であるものを俗化しない程度でホーリーな場所を味わえる場所として開放する線を模索する。 |
【提案】 |
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長崎の教会は財産。祈りの家としての節度を持ち、ミサや様々な機会に教会に足を運んでもらうよう案内の備えを
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教会でミニコンサート、それも週U回、各教会持ちまわり。聴衆は先ず信者から。 |
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守護聖人の祝日に神父様たちが一般の人々にも呼びかけて、そこで交流していって積み重ねてゆく。 |
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教会の中に入る時や祈る時に、そこが静かな祈る場所、瞑想の場所であるということをメッセージで知らせる。 |
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トイレ使用には設備費、例えば1回使用100円程度の協力を呼びかけるなどの入管ルールの策定。 |
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アジェンダが長崎のいい文化遺産を分かち合うために伝えるべきことを考えるきっかけになれば。 |
【所見】 |
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国宝という一つの文化、行政の文化に対する弱さが現れている(大浦天主堂の拝観料の徴収について)
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お祈りの場ができることは素晴らしいこと、長崎に代表的な教会があるので、観光のコースとしても積極的な方向で捕らえていくことを一緒に考えてゆきたい。
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【世界遺産について】 |
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大司教は積極的にサポートされている。まもなく長崎大司教区という絡みで、会議には大司教区の代表の神父様を送ってもらう予定。長崎の教会群についてもバチカンとの緊密な連絡を得ながら今後も推進。
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【イベント経済所見】 |
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イベントの2つの方向性: 1
誘致イベント(著名オーケストラ・演奏家を長崎に誘致する)企画
2 地元発による地元文化育成 |
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経済メリットと祈りの場という矛盾する2つのことをどう融合するか。単発単発で行っていくのは非常に手間暇がかかり、リスクも伴う。 |
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人が集まるとお金を落としてゆくと言う意味では、人が集まるということはすばらしいこと。 |
【まとめ=司会者のコメント】
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いかに人を引き付けてゆくか考える必要がある。アジェンダを継続しながら、会の在り様を含めて知恵を出し合う |
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教会側、信者の方々との協調をどうやるか。野下神父は長崎では先進的な方、相当知恵を絞っていただいている。我々もどういう風にそれに応えるかという方向で、教会側と我々との間をどういう風に話を盛り上げていけるかというような前向きの方向に考える必要がある。 |
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過去の長崎の教会のあり方についてあまり否定的に考えないことが重要。教会が守りの姿勢と言われているが、守りは最大の武器とも。その守りの武器でどうやって守りながら攻めて行くか、教会側はもっとオープンに、我々も教会に対する理解度を深めてゆく。 |
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祈り=命である。何のために祈るか?
平和、自分の命、家族の健康、世界の平和、それはすべて根源は命と言う風に考えると宗教の壁は無くなる。 |
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世界遺産というものを長崎全体がどうやってささえてゆくか、その一つに音楽と祈りがある、我々は教会という信者さんの集団をどうやってサポートしながら打ち解けてゆくか。危機感だけ話しても仕方がない、今までの教会が閉鎖的だったということを言っても仕方がない。これは事実だから。だからこれを逆にポジティブに考え、閉鎖を強みと考える。 |
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「敬虔な信者さんが長崎は多いんだよ、したがって観光客も簡単に泥足で上がってきてはいかん...おのずから寄付金も出してくれるよ...」、そういう風に長崎の教会の特殊性というものを逆に雰囲気作りに生かせれば... |