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天球の諧調 

アジェンダ第二回   日時:2004.6.27(日)14:00〜16:45    於:旧香港上海銀行     宗教曲のコーナー T/U

後半の討議記録

宮田氏:
教会の信者の方の意識を変えるというのはやはりちょっと大げさな考え方であって、やっぱりそうじゃなくって、教会をどういう風に私たちが活用させていただくかという、そういう観点でこういう小さなイベントをどうやって定着させていって、共通の話し合いの場になっていくかということだと思いますが、ブライアン先生、長い間長崎に住まわれていろんなことを経験されていると思いますが、ブライアン先生としての教会、長崎の教会、あるいは信者というものをどのように見ておられるか、あるいは将来にどういうことを期待されるか、そういうことをちょっとお話聞かせていただけませんか?

バークガフニ氏:
私自身が厳格なカトリックの家庭に生まれ育って、それからカナダを離れて日本に来て、9年近く禅寺でお世話になりました、「宗教は何ですか?」と聞かれると政治家のように「無所属です」と答えますが、私が申し上げたいのは私の中でキリスト教と仏教というものは共存しているんです、私にとっては決して矛盾するものではないということです。

私は「
キリスト教徒なので、仏教徒ではありません...」ということにしたくないんです、出来ればキリスト教の良いところと仏教を調和させたらと普段から考えています。しかし申し上げたいのはいくら禅の修業をして、頭を剃って、衣を身にまとっても、自分の中にあるキリスト教を打ち消すことはできないんです、これは文化です。やはり生まれ育ちのなかにあって、その文化に染まったのですから、それをなくすことは出来ないんです。それは家から屋根をはずすようなことだと思います。

長崎に惹かれた理由の一つは、キリスト教の教会が長崎の街の中に溶け込んで、何の違和感もない、例えば近くの大浦天主堂の隣には妙行寺というお寺があって、なんの違和感もないんです...でも実際に歴史を見ますと、やはりクリスチャン弾圧という長い歴史があって、明治の時代にキリスト教の解禁があって、信教の自由が認められたのですが、その後もキリスト教の信仰に関わる差別などがありました。とくに今、長崎、日本の社会は、私の故国カナダ、あるいはヨーロッパと比べても、祈りの多様性を認めない一面があって、それと違う法則は一線を引かれてしまうという日本の社会、伝統の壁があるように思います。それが長崎の街では、私が、外から来た私が見ても、必ずしも調和だけではないと感じています。

具体的なことを言いますと、私は長崎でクリスチャンの方々には守りの姿勢があると感じています。それは新しいものを受け付けないという意味ではないと思います。あまり積極的に外と接触するということが少ないと思います。どちらかと言うと自分たちで内側を守るという...。

今宮田さんから長崎の教会ということについて聞かれましたが、率直に言いますと、大浦天主堂のことですが、私はこれまでにカナダでも、ヨーロッパでも見た教会、あちこち回りましたけれども、拝観料を取る教会は見たことがありません。バチカンでさえ、だれでも自由に入れるんです、拝観料というのは教会では取るものではないという印象がどうしてもあるんです。大浦天主堂でそういう風に結構高い600円という拝観料を取るのは教会の姿ではない思います。やはり教会というのは腕を広げて来る者を拒まず...という感じじゃないかと。

大浦天主堂の建物の横には煉瓦塀があって、その塀自体も目障りですが、その周りを鉄製のフェンスが走っています。これは明らかに教会の中に入れないようにということで、あの教会を作ったフランス人のプチジャン神父があのフェンスを見たら泣くんじゃないかと思います。そういう意味で、キリスト教について申し上げたいのは長崎の教会というのは開かれたところではないと思いますし、私の希望を申し上げますと、大浦天主堂でも必要であれば(強制的ではない)寄付を募った方がいい。そこを訪れた人々が(強制によって)お金を払うことよって、聖なる場所であるという気持ちが失われてしまうという気がします。ですから教会の中に入るときに、あるいは祈るときに、そこが静かな祈る場所、瞑想の場所であるというメッセージで知らせる、教えるという方法もあるんじゃないかなと思います。率直な意見を話させていただきました。

宮田氏:
ありがとうございました。野下神父、今のブライアン先生の意見に対して何かご意見はありませんか。長崎が守りの教会だとかフェンスだとかいろいろな話が出てきました。

野下神父:
拝観料を取ることに関して様々な議論があったことは事実です。ただ、大浦天主堂に関しては国宝であること、観光客に見せなければならないということから来る公開性ということから、ミサのときにに写真を撮る、今こそ観光客が少なくなって、最盛期から比べると少ないですが、(天主堂が)礼拝に使えなかった。あそこは完全に観光客に荒らされてしまったということで、そのほかには拝観料は取ってないと思います。

宮田氏:
今の話の要点はやはり 基本というのは結局、国宝だからその維持も兼ねてという事があるんだと思いますが、国宝という一つの文化、行政の文化に対する弱さが現れているじゃないかと思いますね。そういう基本的な行政における見方がある中で、こういう会を立ち上げられて、行政抜きというわけには行かないと思うが、行政だけではだめなんで、そういう意味でこの会を私は非常に評価しているんです。

こういう会だからわれわれのスタンスは戦後50年、これから50年というスパンで考えれば、こういう会は必ず大きくなると思うんです。なぜなら、いろんな意見を聞けるからですね。皆さんもそういうところで、普段思っていることを発言するという場、これがこういう場の一つの目ではないかと思います。いい音楽も聞かせてもらったから、次はコーヒーでもあるといいですね。

そしてこういう場が例えば「駅前にあるよ...」、最近の旅行客はこういうのは好きなんですね。ただ教会を回るだけじゃなくって、こういう話す場がある、歴史を勉強する場がある...そういうことにすんなり入っていける広報活動をやる、そう言ういう意味で行政を頼らないでこういう場を作ろうとしている鮎川さんに私は大変感心して、応援しているんですが、鮎川さんの真意について話してもらえますか?

鮎川:
私は行政を抜きにとは毛頭思っていなくて、私自身の力不足なところがあって。いろいろと至らないところがたくさんあります。

先ず、先ほど野下神父様がカーニバルということばについてご説明がありましたが、今回の討議の内容としては前もってこういうことについて考えていただくといいのではないかという資料作りを行いDMをお送りしました。それで今日参加されていない方々にも野下神父から今日の討議の中でこのような指摘があったということをまたお知らせする必要があると感じています。

それから聖地については私も実はしゃべりたくって、(やっとしゃべらせていただけるんですが)。

教会にいらっしゃる方が教会のこととしてしゃべられる時に、そこには信仰の対象があると思います。これが融合だとか文化の融合ということについて考えるとなったとき、みんながそこに向かったときに違和感を感じない何か衝動が向かう先というものがあると思うんです。それが聖地ということばはそういう何かはっきりと捕らえらることはしにくい反面、そういうものを予感させるという言葉の持つ響きがあると思います。

柿森さんはご記憶にあるかどうか、以前に西坂の丘で受難劇の舞台に見たてた劇をやりたいということをおっしゃったんですが、私も以前からおぼろげながら聖地ということがあったんです。

(先ほど野下神父様が教会の資金的な事情というものを本当によく説明してくださったんですが、私はあくまでも教会のなかでというのは、受け入れてくださる方があって初めて成り立つものだと、やりたいからやらせてくれ...ということは毛頭考えていないんです。)

例えばキリシタンの文化と関連して、長崎を聖地として考えてみようとした場合、話が少し飛んでしまうんですが、聖地エルサレムがあります。私はその旧エルサレム市街の写真を手にしているんですが、その写真を見ながら、同じ城壁に囲まれた旧市内の右手には聖墳墓教会があって、一方左手にはイスラム教の黄金のドームがあるんですね。そしてその中を区画の中をユダヤ教徒が住んでいる、キリスト教徒が住んでいる、アルメニア教徒も住んでいる、そしてイスラム教徒も住んでいる...それがたびたび抗争の種にもなってはいるんですが、今はそうであるとしても、これが100年先にはどうなっているだろうかということがあります。

(現在は)聖墳墓教会の中もあらゆるキリスト教徒の流れが、そして細かく規定が区割りについてもあって、掃除にしても細かい規定が定められている、「ここまでは例えばギリシャ正教が掃除をやって、その先は例えばコプト教がこの棚の部分から掃除をする...」と言う風にいろんなことが行われているんですね。それで相互理解というときに長崎では、私はいろんなものを読んでいるだけで「あぁ、そうか」とその対象に同化してしまうというところがあるんですが、例えばイエスキリストがピラトの前から、いわゆるビア・ドロローザですか、その道のりを歩いて行かれた、私はエルサレムには行ったことはないので、わからないのですが、その同じ縮尺を例えば西坂の丘をゴルゴタの丘に過程した場合、どのくらいの距離になるのか、私たちは日ごろ何気なく電車やバス、また自動車で移動される方もあるでしょう、その距離を歩いてみるとすごくしんどいことがあるんですけれども。歩いているだけで大変しんどいんですが、それを(イエスが)どれほどの距離を歩かれたというようなことを考えたときに、長崎を聖地にするということを考える場合、そういった人の心の中に共感を呼ぶこと、ある場合には反感を呼ぶこともあると思うんですけれども、そういったことはこのような相互理解の場を何回も繰り返すなかで共通の認識が生まれてくるんじゃないかと私は期待をしています。

それから先ほど野下神父から経済的なことで、現実的なトイレットペーパーという話が出ましたけれども、そういったことにもちょっとアイデアがあるんです、今この場で言って「なんだそんなことか」と言われるのではと思うので、もうちょっと暖めてから、次の機会に、成り立つかどうかケーススタディもしておきたいと思います。

宮田氏:
そろそろ時間も迫っておりますが、次に杉岡さん、杉岡さんは東京から長崎にこられて、長崎大好き人間でいらっしゃって、この会に協力していただいているという意味を踏まえて、ひとつ言葉をお願いします。

杉岡氏:
産業振興の観点から言うと、人が集まるとお金を落としてゆくと言う意味では、神父がおっしゃっていた手洗のことなど、私から見ると人が集まるということはすばらしいことだと言う気がします。もう少し積極的にトイレを作るとか、カーニバルは市にやらせるとか、いくつかの観光コースの紹介はいくつか種類を作って、やはりお祈りの場ができるだけでも素晴らしいことなんで、長崎に代表的な教会がいくつかあるんで、観光のコースとしても積極的な方向で捕らえていくことを一緒に考えてゆきたいと思う。

宮田氏:
それから発言なされていない方にお願いしたいですが...

自由参加の方:
世界遺産について一つだけ聞きたいんですが。先ほど言われたような古い教会を観光資源にするということについては、各地の教会の信者の方からの逆に反発などはないんですか?

柿森氏:
最初、そういうことについて少しわれわれが内々にそういうことを引っ張ってきて...というような意見もあったんですが、少し受け入れられないと言うようなことも言われてきたんですが、最近はそういうことなくなりつつあります。最近では大司教、高見大司教様は積極的にサポートしてくださっていて、今回はまもなく長崎大司教区という絡みで、会議には大司教区の代表の神父様を送ってもらうということがあるような状況です。

昨年バチカンのプラザ委員会に行ったが、バチカンの中で建造物だとか全世界の教会の維持だとかそういうところをきちっと保存するという狙いがあります。そうしたことでそこをきちっと考えるということが大切です。具体的に言えばハンガリーの教会の世界遺産登録については実際にサポートを始めているそうです。で我々の長崎の教会群についてもバチカンとの緊密な連絡を得ながら、というそういう現状なんです。

先ほど野下神父様から話がありましたが、ある意味で教会目当てに来る観光客もたくさんいると思うんですが、知恵を出し合って、たとえばトイレを借りる場合は、やはり設備費くらいは、例えば1回使用について100円くらいおいてください...とかいうような、そういったことで協力することで解決するんじゃないかなと思います。そういう意味では入管にさいしてはルールが必要だし、教会ももう少し開く必要があるということでしょう。そういう意味で人間が知恵を出し合えば、問題は解決するという...そういう風に思っています。

宮田氏:
ありがとございました。お隣の方、今後のことを踏まえて、こういう会の意義も含めて一言お願いします。

林田氏:
初めまして。長崎文化放送で事業をやっています林田と申します。以前からこの企画に関しては聞いていて、非常に共感する部分があったので今日から参加させていただいています。日ごろから長崎の文化振興については考えをめぐらしておりますが、イベントの企画としては2つの方向性があるかなと思っています。長崎以外の有名なオーケストラとか演奏家を長崎に持ってくるイベント企画と、いまひとつは地元から外に向けて発信する、地元の文化を育てるというイベント企画。その2つ、両方やらないといけないかなぁと思いながら仕事をしております。私は地元出身でもありますし、地元から発信する企画が好きなので、どうしてもそちらのほうに関心が向いています。

そんななかで今日のお話を聞いていて、まだ具体的なことは見えてこないんですけれど、一つ気付いたことは、経済原理と祈りの場という矛盾する2つのことをどう融合するかということが大きなポイントかなぁと思います。私は民間放送という仕事をやっていますので、経済メリットを考えないことにはイベントは企画できません。文化放送という名前を謳っているからには、地元の文化に対して身銭を切ってやらなければいけないという思いはありますが、現実には赤字では続けてゆけません。

一つ具体的例を申し上げますと、今度12月14日に浦上天主堂でプラハバロック合奏団を呼ぶことになっています。天主堂の神父様と信徒の皆さんにご了解いただいて、やることは決まっています。やり方についてはこれから考えてゆかねばならないと思っています。

去年トンコープマンのオルガンリサイタルを浦上天主堂で開いて、お客様にいっぱい入っていただいて、それなりに成功したんですが、そういうものを単発単発で行っていくのは非常に手間暇がかかるし、リスクも伴います。そういうやり方でなくて、地元から盛り上げていくやり方があるのではないかなぁと思います。決して手を抜きたいという意味ではなくって、やはり地元の文化を育てるにはそういうやり方の方が永く続いていくのではと思っています。実はそのへんも皆さんにお伺いしたくって今日は参りました。

この話をもう少し続けさせていただきますと、翌日県北でもやれないかという話がありました。私も教会のことを全然存じ上げないので三浦町教会と相浦教会を下見に行きました。結果、どうしても席数が少なくって、高いオーケストラ、何百万とするんですね、それを支払うためには席数掛けるチケット代金が入ってこなければペイしないので、どうしても断念せざるを得ませんでした。相浦教会の神父様は教会を公につかう
ことについては理解を示してくださいましたが残念でした。下見に行った教会に、地元の子供たちが集まってきてて、シスターがミサ曲を教えて
るんですね、その歌声を聴いていて、こんなところにまで経済原理を持ち込むのはどうなのかなという思いがしたのも確かです。

この会としてキリスト教文化イベントを地元にどう根付かせていくかという具体的な方策がいまひとつ見えてこないのですけれど、具体的な例として12月14日プラハバロックを私たちだったらこうやるけどなぁ...というのがあれば伺いたいと思います。

井上さん:
皆さんのおっしゃることはすべてもっともだと思います。私の知っている方が多いんですけれど、本当に長崎の教区について危機意識をもっている信者さんばかりです。私は浦上の信者なんですけれども、やはりこれから教会をどうしようとか、キリスト教を○○ことをどうしようかとか、社会的なことについて教会がどういう風に関わるべきかと言うことでいつも突き当たるのは、長崎の教会自体が動かない...という現実です。皆さんの話を聞いていたら、「鎖国状態なんじゃないかな、町全体が。そして教会自体も開かれないといけないところに、長崎の人と一緒になって鎖国状態をやっているんじゃないかな]と思うんです。

いま、その鎖国状態のところを外側から、外部の方から「今長崎はどうなっているのか?」とか「長崎の教会はどうなっているんだ?」と揺さぶりを掛けられているところだと思うんです。どう揺さぶりを掛けられているかと言ったら、このような機会を通して「長崎って、たくさんの素晴らしい財産がある」「それを私たちにも分け与えてくれ...」と揺さぶりを掛けられている状態だと思うんです。ですから宮田さんがおっしゃったようにこういう企画を立ち上げられたというのは本当にタイムリーで、やはり危機意識を持ったこういった集まりがどんな風にしてゆくのか、先ほど野下神父が言われたようなシビアーな話もありますし、それから経済原理の話もありますから、それをどんな風にしてゆくのかということをこんな風な集まりで一つ一つ取り上げて(いけばいいと思います。)、揺さぶりを掛けられなければ目が覚めないけれども、(掛けられると)そういった形で外から来る人も私たちも成長してゆくので、じゃぁ、教会が荒らされる一方だったらどうしたらいいのかということをお互い成長ですから、外から来る人も教会に対してこういうマナーがあるんだということを学ぶ必要があるし、私たちはやっぱり長崎のいい遺産を分け与えるときにはこういう風に伝えなければならないとを考えるきっかけになればいいなぁといった気持ちで参加しました。

宮田氏:
どうもありがとございました。最後に私の友人が来ていますから、大塚さんですけれども、この方はものづくりの今問題になっているお客さまにどうやってものづくりを大切にするか、ISOのコンサルタントをやっておられます。お客様にどうやって満足してもらうかということについて大塚さんに一言お願いします。

大塚氏:
ただいま紹介に与りました大塚です。昨日杉岡さまがお見えになりまして、こういう会があることを知りまして、議事録を見せていただきましたところ、非常に興味がありましたので、参加させていただきました。私も長崎が大好きな人間でありまして、私は昭和28年に三菱に入りまして、平成4年に福岡に転勤しまして、12年間あちらでお世話になり、つい4月に長崎に帰ってきました。非常に三菱のながさきが大好きでして、長崎に帰ってきましたので、こういったテーマに興味がありましたので、長崎の街が今以上に活発な街に、燃える街にそのようになることが大事じゃないかと思っておりまして、本日は聴講という意味で聞かしていただくという意味で参りました。

要は私はIS2001ものづくりの品質でございます。これはモノのいい物を作るには、ただ技術だけでは果たされないと...、ものづくりの根底は人作りであります。先だって重工さんの立派な船が出港いたしましたが,あれを一隻作るにも数千人数万人という技術者が、一人一人力を合わせて、いい技術を、いい規則を守って、決められた通りのモノを作って完成するものでございまして、たまたまあのような事故がありましたが、一人ひとりが決められたことにしたがってればあのようなことにはなりません。ですからやはり根底にはいい人間がモノをつくることが一番大事だと私は思っております。さきほどは聖地ということについてでておりますが、やはり長崎の街を聖地としてやれば、おのずとそこにいる一人ひとりは立派な人格を持つ、そうすれば、よそから見て長崎の街は燃えている...そう感じ取られるんじゃないかと思います。中でいる人たちだけが燃えているんじゃなくて、周囲の人から認められる燃える街ながさき、これが大切じゃないかと。これの根底に聖地という考え方がしっかり貫かれていれば、イベントをやってもその本質は感動、感銘が伴うと思います。

宮田氏:
そろそろ時間ですか、今日まとめるとすればこの3点ぐらいかなと思います。要は、一つはこういう場というのは結論を出す場とは違いますから、いかに人を引き付けてゆくかという、いろんな人のご意見を伺いましたが、相当考えねばいかんというのをつくづく感じます。したがってこれは継続しながら、もう少しこういう会の在り様を含めて知恵を出し合う会にしていきたいなというのが一つ。とくに皆さんにお願いします。これは30年、50年スパンで考えた方がいいと思いますね、そうすると必ず私は思い続けることが知恵を出すと、いい考えが出ると思いますね。そのだけの長崎はパワーがあると思いますね。なぜならばよその方も相当入ってきておられる、地元の人も燃えている...知恵を出し合いましょう、歴史を勉強しましょう...ということでございます。

それからもう一つは、私たちの考えはやはり教会側、信者さんとの協調をどうやってやるか、今も野下神父が教会側から見た現状、例えば観光客も相当なもんだというようなこと、だけど野下神父は黒崎教会の拝観料などは取っておられませんし、非常に長崎では先進的な神父さんでして、こういう会にも積極的に出ていただいて、相当知恵を絞っていただいているわけで、我々もどういう風にそれに応えるかという方向で、教会側と我々との間をどういう風に話を盛り上げていけるか...というような前向きの方向に一つ考えたらどうだろうか。

それから私が一つ感じるのは、教会というのは過去の教会の長崎のあり方についてあまり否定的に考えちゃいかんなと...。
守りの姿勢とありましたけれども、考えによりますと守りも防御でありまして、守りは最大の武器という言葉が日本にはありますので、その守りの武器を、今からはこれをどうやって守りながら攻めて行くか、攻めてゆくという言い方じゃいけませんが、教会側はもっとオープンにしていただく、我々も教会に対する理解度を深めてゆく、なぜ今までがこうだったのか、というようなこと。

私は祈りというのは命だと思うんですよ。何のために祈っているか、というのはやはり平和のため、自分の命のため、家族の健康のため、世界の平和のため、それはすべて根源は命と言う風に考えると宗教の壁は無くなるんですね。ま、そういう風に思うと、こういう風に音楽を聴きながら、癒しの場を持ちながら、簡単な軽食をしながらこういう場をやはりいかに続けて根気強くやってゆくか、そうするとやがて行政も逆について来るじゃないかと私は思うんです。なにも行政を敵に回すということではなくて...。そう考えると、先ずは柿森さんが一生懸命やっておられる世界遺産というものを長崎全体がどうやってささえてゆくか、その一つに音楽と祈りがある、そう風に見ますと、nccの林田さんが言われました12月14日はこの会は無縁じゃないと思います。どうやって応援をさしてもらうか、チケット売りでも何でもいいと思うんです...。そういうところにアジェンダの会が動いているよ...、サポーターだよ、ジュビロ磐田や横浜マリノスが強いのはサポーターのおかげなんです。4万人5万人のサポーターがいると選手は力以上の力を出します...今の横浜マリノスはまさにそうです。

そういう風なことで、我々は教会という信者さんの集団をどうやってサポートしながら打ち解けてゆくか、そう考えると非常に私は長崎も静かに教会も、それから皆さんも燃えてきて、危機感だけ話してもしょうがない、今までの教会が閉鎖的だったということを言ってもしょうがない、これは事実だから...だからこれを逆にポジティブに考えると、閉鎖は強みです、長崎の教会の特殊性というものを逆に敬虔な信者さんが長崎は多いんだよ、したがって観光客も簡単に泥足で上がってきてはいかん...おのずから寄付金も出してくれるよ...そういう風な雰囲気作りにこの会が役立てばなと、いう風に思いますと、この会を見捨てるわけには行かない...いう風に私は思います。

         
<2004.06.27 於:旧香港上海銀行記念館> 議事録制作担当 天球アジェンダ企画室 鮎川和代

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