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天球の諧調 

アジェンダ第二回
  日時:2004.6.27(日)14:00〜16:45    於:旧香港上海銀行     宗教曲のコーナー T/U

【ご出席】

野下千年氏 カトリック黒崎教会主任司祭、オペラ「26人の殉教」企画制作者
柿森和年氏 長崎の教会群を世界遺産に登録する会事務局長
宮田隆氏 日本イベント産業振興協会理事 東京都在住 
ブライアン・バークガフニ氏 長崎総合科学大学教授。インドを経て京都の禅寺にて禅の修行を経験
杉岡修次氏 長崎県職員、個人として賛同
鮎川和代 MCSオフィスルーム代表、アジェンダ企画制作

宮田氏:
宮田と申します。まだ私には聖地という言葉には特別な考えは持っていませんが、長崎全体が今からの時代にどうやって「聖地」らしく生活の場としてやっていけるのかということを常々考えています。特に世の中がいろいろと混沌としている今、本当に心が錆びている、そういう中で「これから長崎の在り様というものをどういう風にして創っていったらいのか」ということを考えます。私は今東京に住んでいます。その前はアメリカ、メキシコにいましたが、人の生活圏内というのは非常に様変わりして、特に長崎は被爆から50周年を迎えたわけですけれど、長崎の皆さんは非常に耐え抜いてこの50年をやってきたと思います。それで今は長崎らしい雰囲気が出来つつある、そして歴史的に言うならば、長崎はクリスチャン文化が日本で、そしてアジアで芽生えたという歴史的側面、そして今も敬虔なるクリスチャンがいらっしゃるということも現実です。

私は東京でもよく言っているんです、「長崎は平和の街だ。秋はお祭りがあって、お諏訪さんのお祭り、冬はランタンの祭り...これは中国のお正月の祭り、そしてペーロンがあって、お盆がある」と。考えて見ますと和華蘭文化が逆に平和をかもし出していると思うんですね。世の中がこれだけ分裂騒ぎを起こしている中で、長崎は素材的には聖地として皆が仲良く宗教を越えて皆が仲良く暮らしていける...(と思います。)私はそんな街を夢見ています。長崎に行くと人の喧騒だとか、あるいは世の中のゴタゴタというものがひと時でも忘れられて、旨いものを食べて、またいい音楽、今日はあとでいい音楽を聞かせていただけるようですが、そういうものを聞いて、やはり本来の人間に帰るということが味わえる、(実際)そういう街づくりというものを私は願望しているわけです。

そういう意味で私にとっての聖地というのは、非常に単純でして、日常生活が非常に穏やかで、和やかで、長崎らしい(ということになると思います。)、長崎らしさというものを今からどのように育んで行くかということが、新しい時代の新しい聖地として、過去の遺産だけではなくて、今からいろんなもので創ってゆく、そういう新しい長崎をどう作ってゆくか...。今までの文化を無視して軽視してもいけない、その文化を糧として新しい長崎の在り様というものを創ってゆく、そういう新しい聖地を作ってゆく。そういう意味でブライアン先生は非常に長崎を愛しておられる、長崎にこられて、長崎に住まわれて、そして長崎に骨をうずめようとしておられる...そういう外国の人が長崎にやってくる、そしてそういう人の気持ちに長崎の人が応えられる、そんな街になってほしいと思う。

長崎には今いろいろと苦労がある。三菱や、また佐世保のあのような不幸な事件を耳にすると、「長崎はなんばしよっとか」「長崎はどんなところか」という言葉を耳にする。これは地元の人間としてとてもキツイ言葉である、これは本来の長崎の姿ではない...そういう意味で新しい文化をどうやって創ってゆくか、という(ことを考えた場合)、世の中にいろんな文化が混在している、そうしたものをお互いが生かしあってゆく、そして日本の長崎、アジアの長崎、そして世界の長崎...そういう意味でいうと、この「天球の諧調」という、これは言葉が少し難し過ぎると思いますが、何かそういう方向へと持ってゆく、そういう環境に持ってゆく...そういう意味でわれわれが持っているもの、例えばこのような建物を活用する、フランクに集まってワイワイガヤガヤとやる、これが文化ですね。そのような日常の文化にいかにわれわれが自発的に、非日常的に、サプライズが、驚き、興奮、感動というものを創ってゆくのが新しい聖地を創ってゆくことになると思います。


杉岡氏:
長崎でまた子供が殺めるできごとが起きた。無宗教者をなくすことが課題。宗教を普遍化することが大切。長崎を聖地しようというアイデアがでているが、もうひとつの聖地としてのヒントを申し上げよう。

インドにはインド教(ヒンズー教)、仏教、イスラム教と、どれを拝んでもよい寺院が地元の篤志家により建てられている。夕刻、着飾った子供たちが友達と連れ合って集まり、お祈りをする。またその際、街を見下ろす寺の石段に座ってひと時を過ごす。子供たちを純化する聖地との印象であった。

インドの例を拡大して、積極的に宗教を長崎では取り入れたらいいと考えている。前回、無宗教の人が増えて、殺すということを教えられていないと言うことを危惧している。われわれの例を挙げると、殺生してはいけないということを普段に教えられている。学校で宗教を教えてはならないというのはとんでもない話で、教えられる姿というものが長崎らしいものと一緒になればいいと考えている。

バークガフニ氏 :
この前に講演をさせていただきましたが、今回は意見を述べさせていただきます。私は長崎に魅力を感じて住んできましたが、最近は長崎における魅力の残像が次第に消えていって...、絶望感を感じることがあります。長崎の歴史というものは世界を探してみても同じような国際的なものはないと思います、しかし長崎市民自身が果たして、この街にはたしてどのくらい興味や関心を持って、愛情を持っているか、懐かしさを持っているかと言うと、今の街づくりを見ますと、そういう懐かしさをあまり感じられません。

私は物理的に整理すれば良いと決していっているのではないので、何が必要かというと、やはりそこに住んでいる人たちの街に対する懐かしさなどといった街に対する想い、懐かしさと言ってもいいかもしれません。自分が小さいときに育った街に対する想いが、この街に住んでいる人生のなかで今の街で人生を生きてゆく原動力になっていない、力を出し尽くしていない、という気がします。

それで私のように外からやってきて外来からの人よりも、長崎に育った人が長崎の街の歴史の素晴らしさ、ユニークさを核にしてその視点に立って街を考えてゆく。そんな中で長崎のキリスト教の役割、教会の持つ役割、これも日本ひろしと言えども、それほど定着しているところはありません。その大きな例外が長崎県、長崎市であり、なんで長崎がこれほどキリスト教を受け入れてきたか、そしてこれからの長崎で重要な働きを果たす役割を考えてみたい。

私は研究者として長崎の歴史を調べていますが、自分の街の歴史を大切にしない街は発展はないと思います。

野下神父:
アジェンダ中が見えてきてはまた消えてゆくという感じがするが、すこしづつ輪郭が見えてきているような気がする。
長崎はいろんな形で、キリスト教だけを考えるのではなく、例えば京都、奈良というのはお寺さんの街という感じがしますね。長崎をカトリックの町といってしまうと、そういうことが良いことなのか、どうなのかといういことを慎重に考えなければならない。むしろ長崎には既存のお諏訪神社の祭り、神道的なフェスティヴァルがある、仏教的な鐘楼流し、さだまさしが歌にも歌っている現代的感覚も添えられた伝統的な鐘楼流し...などがあり、ランタンフェスティヴァル、これはチャイニーズ...もある、そういうものの中にはポルトガルの伝えたものもあるでしょうし、フランスやイタリア、スペインもあるでしょう、そういうものをキリスト教の歴史というものの中に潜むもの、というものは確かに歴史の底におかれたもの、教会の中におかれたものという形に、そういったものをいま少し前面に出しながら、どのような長崎に「聖地」という意味を(付与するか。)、いろんな違った文化を包含する、伝統的にみると、たぶんいち早くキリスト教が入ってくる、いろんな文化を運んだと同時に、そういうものを広めたという歴史があります、と同時に幕末のころになるときわめて酷い弾圧を体験したところでもあるんですね。長崎がそのようなことを体験しながら、なおかつ今日軋轢というものを消し去って、同居している、静かな同居をしているということがあります。

私は限られた意味で、狭い意味で言うならば、神のみ教えに述べられていることとか、あるいは弾圧によって神のために血が流されたところ、人の命が捧げられたところという意味において、これは「聖地」という意味を含んでいるでしょう、そういうことも「聖地」でしょう、そして結果的に長崎に教会が残っていることも聖地の要素かも知れません。信徒の数も全国でも一番多い、キリスト教徒、そういう意味で、神・祈り・宣教の歴史から来る聖地がある一方、原爆というものが弾圧、こういう弾圧を貫いたあとに、戦争弾圧を体験したあとに、私たちは限りなく平和を望むようになりましたが、平和を望むところという意味で「聖地」 、そして今、私は宗教会議という会議をして、宗教間での対話、という活動を、日本で、長崎でも続けております、そういう中で今までにない、諸宗教の壁を超えた融合、そういう運動が今起こっています。だからここにいまひとつ出てくるに違いないという新たな聖地というものは...そういうものを含む、意味する聖地。

また神に関わる聖地、○○に関わる伝統的な、そして新たな平和を追求する祈りの聖地、いろんな諸文化を受け入れあう愛についての聖地、そういう意味で、これらを複合して、ほかの3つも呼応できるようなそういう力のあるイベント、ですからただ単にキリスト教だけを表に打ち出そうとしない、それと同時に他の宗教、他宗教の何かが、私たちが今目指しているものの中に一緒に大事にされるという、そういう意味で歴史的に違った形で出てきたイベント(に見られる)、多様性をまとめ上げる長崎、そういう意味で今後私たちが目指しているものがハーモニーとしてまとめ上げるような役割を果たせたら良いんじゃないかと考えます。合唱にも、ソプラノがあり、アルトがあり、テノールがあり、バリトンがある、弦楽四重奏でいうと、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスのそれぞれに役割があります、そういうハーモニーを奏でる一つの役割を私たちは立ち上げようと考えれば良いのでないかと考えます。


柿森氏:
聖地ということを少し絞って考えてみたいと思います。例えば、先だってイタリアに行ったんですが、ゼス教会ですね、イエズス会の殉教者たちのほとんどは日本で殉教しているんですね、例えば中浦ジュリアンなどのほか、たくさんの人たちが日本で殉教しているので、イエズス会からみると日本の地は聖地なんです。その中でも主たる殉教の地は長崎が占めている。今現在古い教会がたくさんあるんですが、そういう聖なる感動するドラマだとか、いろんな潜伏クリスチャンたちが信仰を守ったそういう事実はたくさんあります。そういう中で長崎の教会の価値というものはただ単に建築的な価値だけではなくて、古い教会を通してそのなかに流れているイエズス会のザビエルからいままでの、出来たらそういうキリシタン文化を市民レベルにするために立ち上げ、そこに新しい何か文化を作ってゆく、それがひいては地元に住んでいる人が楽しまなければなりませんね。ヨーロッパでは家族ぐるみでテントを張って、そこにぶどう酒があって、近所の人たちと語り合って、そこで喜びだとか趣味の話だとかコミュニケーションをとって、楽しい信仰生活と併せて人間らしい膝と膝を交えた、温かみのある交流をする、そういうものにつなげればいいなぁと思います。

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