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天球の諧調 

アジェンダ第一回
  日時:2004.5.30(日)14:00〜16:45      於:サンプリエール

【ご出席】

宮本 誠氏 建築設計事務所会長、カトリック大司教区本部や浦上教会信徒会館設計者
野下千年氏 カトリック黒崎教会主任司祭、オペラ「26人の殉教」企画制作者
宮田隆氏 日本イベント産業振興協会理事 東京都在住 
柿森和年氏 長崎の教会群を世界遺産に登録する会事務局長
ブライアン・バークガフニ氏 長崎総合科学大学教授。インドを経て京都の禅寺にて禅の修行を経験
杉岡修次氏 長崎県職員、個人として賛同
鮎川和代 MCSオフィスルーム代表、アジェンダ企画制作

前半の討議記録

>>>ブライアン・バークガフニ氏による「長崎の文化バランス」のスピーチに続いて...<<<

それではこれよりアジェンダ推進役の皆様による討論を始めます。

司会:
まず私から口火を切らせていただきますが、長崎に長いこと住んでいますとただいまのお話のように広い視点で物事を見ると言うことがなかなか出来ないでいる自分自身を却って発見をさせていただいたという気がしております。

そういう意味で今回は長崎の文化バランスという大上段に構えたテーマをサブタイトルにつけてしまったということに対して私自身に不安があったのですが、ただいまのお話というのはそういう意味では大変力強いお話だったと思います。どうもありがとうございました。

これより先は、私自身の意見というよりも皆様で意見を詰めてまいりたいと思っています。野下神父様、今日は教会の立場を代表してこの場にお座りいただいておりますが、まずひとことお言葉をいただけませんでしょうか?

野下神父:
ただいまブライアン先生がなされたお話の中にもありますように、ちゃんぽんと言う独特の文化が長崎にはあるわけですが、あるいは卓袱料理というものがあっていろんな国の味が盛られていること、それを一つの先生がおっしゃった長崎の寛容性というか他文化の受容性というか個性と言えるんでしょう、長崎にはおくんちが非常にマッチしている。マッチしているからあのように長い伝統を保って、いつも盛んであるんだろうと思います。お盆というのはどこにもあることでしょうが、仏教徒のいらっしゃるところには、しかしながら長崎の街の十字架の天主堂があちらこちらにあっても、そこを精霊船が通って行っても何となくマッチして見えてしまう...という不思議さがあると思うんですね。今また、ランタンフェスティヴァルがだんだん盛んになってきていて、街をランタンの灯が染める...と。

長崎のそういう現在の状況は長い歴史の中で育まれてきたものだろうと思いますが、それも私たちも聞いてきたことなんですが、最初はちょっとした摩擦の中から生まれたという経緯もあったようです。今はそれが非常に自然に定着しているともいえるだろうと思うんですね。例えばキリシタンが栄えたことに対する一つのアンティテーゼとして始まったのがお諏訪神社のこのお祭りだという話も聞いています。まぁ、そういう出発点があるにはあったのかも知れませんが、それが今日のように平和、共存するということはやっぱり長崎ならではの、ある特別な長崎の土壌というか、人情というか、そういうものがあるからかも知れないと...。

これはつい最近のことでしたが、音楽の世界だけを取り上げても、ある意味では大胆な試みで、少々その取り掛かりにおいては、ここにも少々のいざこざがありましたけれども、実は私は世界連邦日本宗教委員会という宗教者の平和推進連盟の運動に籍を30年あまり置いています。長崎でも神道・仏教・キリスト教、およびそれから派生した仏教系の新宗教、あるいは神道系の新宗教、キリスト教もですが、そういう方々による長崎県宗教者懇話会というものを持っていまして私はその会長をさせられているわけですけれども、そういう中で本当に諸宗教の方々と交わって定例会、二日前にも定例会が終わったばかりで、このお話も皆さんに紹介したんですが、その宗教者懇話会も長崎だからできるという面はあるんですね。例えば、私が先ほど言った全国の組織であります世界連邦日本宗教委員会は年に一度大会をどこかの土地で具体的などこかのお寺、あるいは神社さん、あるいは教会、場合によってはあるホテルを会場にしたり...ということもあるんですが、持ち回りでそういう推進大会をしているんです。

この中で長い30数回重ねられてきた40回近い大会でしたが、その中でも始めて浦上天主堂を会場としてそこで二日間の大会をいたしました。現地の実行委員会の責任者として私も企画に携わったわけですが、第一日目は諸宗教による平和の祈りの祭典というものでした。それをメインの浦上天主堂でおよそ一時間半に亘る各宗派集団による平和への祈り、これは長崎にはありませんが全国組織ですからイスラム教もおいでになり、参加されたわけです。入道をお坊さん方何十名もの入道、神主巫女さんたちの入道、あるいは各新宗教の方々の入道、そして地元キリスト教を中心としたキリスト教神父たちの入道という風な、パイプオルガンの演奏が行進曲を奏でる、そして仏教奉賛会のルンビニコーラス・長崎カトリック合唱団が、合同でグレゴリオ聖歌を歌う、あるいは仏賛歌をともに合唱するという形で進められたんですね。

最初「なんと不届きな企画を」と私は攻撃を受けたりもしたが、「まぁ、やってみてからにしてくれ」と私はいいました。それで準備を重ねて本番を迎え、実はブライアン先生にもその時はシンポジウムの部で提言をお願いしたわけですけれども、実際にやりましたところが、まずは一緒になさった諸宗教の宗派を超えた方々が「とても感動」されたんですね。「こういうのは、夢のようだ...」と。天国も浄土もこんな世界ではないでしょうかね...と、こういう話がなされたりしたわけです。本当に木に竹を接ぐような、水と油のようなことを混ぜ合わせようとする...というような見方もあったんですが、本当にやった後、宗教者の実際に教会の中で儀式を営まれた各集団の方々は本当に満足しきっておられたんですね。そして参加された方の中で本当に否定的な評価というのは聞きませんでした。まぁ、与らなかった人、あるいは現にいくらか事前に雑音が入ってしまったことは事実でしたが、こういうことが出来るところだと。

特に長崎県外からお見えになった宗教者の方々はそれに感動すると同時にこうおっしゃいました...「しかし長崎以外のところでこれを、やれといったら、はたして出来るでしょうか???」とおっしゃったわけですね。「長崎だからこれができるんですね...」「長崎だからこれが本当にマッチしてるんですね」ということをおっしゃったんです。私もなぜ長崎だからなのかということについてはそのときはあまり深く掘り下げなかったんですが、いま、ブライアン先生のお話をいろいろ聞きながら、そういう長崎だから出来たんじゃないかなとも思います。まぁ、そういうことで長崎の文化として地元も納得して、定着している文化である一つの形ある表現、しかも非常に伝統的に形を整えた納得されているそのようなものが、あるわけですね。

秋にお諏訪の祭り・神道の祭り、夏に仏教の祭り、あるいは冬に暖かい炎が似合うランタン祭りというものがあったりする、まぁ、仏教文化、神道文化、あるいは中国文化プラス仏教文化でしょうか、そういうものの中に、私はこの運動がキリスト教会という名前が出ていますが、これを自分で立ち上げたわけではなくて、声を掛けられて、まぁ、最初どんなことを考えるんだろうか、まったく雲を掴むより、雲の色もないようなものを掴むような、戸惑ったんですけれども、そう考えてきますと、たしかに神道文化があり、仏教文化があり、そして先ほどから話になってました多文化共存のものが特徴である、この長崎に歴史を通して、また国際的な触れ合いを通してキリスト教文化があることも事実ですね、このような一つの長崎の文化的表現の流れの中でキリスト教文化を眺めるという考え方、なるほどいくらかその意味が解ってきたような気がするんです。ま、時間的な位置からすると春はまだ何もないなぁ、とこう思うことも出来るのかも知れませんね。

ではそういう時期にキリスト教文化としてこれと並ぶような、これを三本柱とか、三角形というんですが、三角形は実は面としてはこれが立体化されると三つの面の正三角形を組み合わせると、底の面が一つ残って数えられるのも忘れられたような一面があって、全体では四面になるんですが、その三角錐の四面の一面であるキリスト教的なそういう文化表現は長崎ではまだあまり考えられていない、教会もたくさんあるし、日曜日はそれぞれ信者の方々は教会でそれぞれの自分たちの礼拝をやってはいるんでしょうけれど、それが市民の一つの文化の形としてなんとなく存在感は薄いし、ましては全国に長崎のそういうキリスト教文化に触れに行くという意味で今推進が進められている建物というものが少し浮上してきています。そういうハードな面とでも言うんでしょうか、これも史跡とか建物だとか、ということがもちろん考えられます。と同時に芸術、建築芸術だけじゃなくて、音楽を含むそういうものがキリスト教とともに長崎に入ってきて、印刷技術などもあるでしょう、そのようなものを何かキリスト教文化として長崎の、もう一つの長崎の顔として考えられるんじゃないかということについて、なんとなく私の中でも目標というんですかね、これを考えてゆこうとするターゲットというようなものの形がほんの少しだけ見えてきたような今感じでおります。

ただ取り掛かりとして、第1回目は教会と音楽というテーマが掲げられたんですが。まぁ、宗教はどの宗教もそういうことが言えると思いますが、キリスト教という宗教はやはり音楽なしには考えられないほど音楽と密着した宗教であるわけですね。それで長崎のキリスト教文化を音楽という文化、それから教会建造物そういうものとを組み合わせたある種の文化表現というものが考えられても良いかもしれないな...という考えがあります。それでいつも長崎は教会と音楽があってる街だ、年中通してという見方もあるかもしれません。がけれども、ある時期を限って、例えば宗教音楽、大きいジャンルでは宗教音楽ですが、宗教音楽には宗教的な音楽という広いジャンルがあり、それからある特別な儀式のために作られた音楽、生み出された音楽、別に少し絞っていくと典礼音楽というようなものがありますし、また宗教歌謡というものもありうるわけです。

宗教と音楽を結び付ける場合に、この場と音楽というのは一致して初めて美しいんじゃないかな、という気もしますね。教会の中でダンス音楽が奏でられて、踊りまわっていたりするのはあまり合致しないのではないか。まそういうことを考えるとひとつの教会の音楽の結びつきというものを検討して、もっとも美しい調和したものをそれが長崎で奏でられるということですね。それは具体的に言うとチャペルコンサート、あるいはオーケストラミサなどがあるのかも知れません。ミサのために作られたミサ曲は一般のホールコンサートホール、演奏会用ホールで演奏される時、宗教音楽本来の姿から少し離れている、それは本当にミサ曲というものがミサと切り離されてステージ上で演奏されるとキリエはここで歌われる、グローリアはここで歌われるというようなことはオペラの原型なんですが、こういう宗教音楽と宗教儀式というのは。そういうものが長崎に行くと、あるいはあるシーズンには復活祭を祝う春の長崎で聞ける、長崎に行くとそういう音楽に触れられる、しかも教会の中でだと。それも長崎の地元だけでなく今年はウィーンから来るらしい、今年は東ヨーロッパの方から、チェコから、プラハからやってくるんだとか、アメリカからもやってくるとか...。そういう長崎などが呼び込むキリスト教文化もあるのかなと思いつくままに語ってみました。

司会:
ありがとうございました。それでは引き続いて皆様のオピニオン、普段どういったことを提唱しておられる目指しておられるか、簡単に自己紹介を兼ねてお願いしたいと思っております。

宮田氏:
今野下神父さまから全体的な話、今日の結論の方へ行っているんではないかと思いますが、私は長崎で生まれでして、勝山小学校から長中から東高へと行きまして、今は東京におりますが、実は今まで会社の時代はものづくりを宣伝してきました。電気メーカーですが、海外のほうは約10年ばかりメキシコ、アメリカと、最初は実は私の海外出張は長崎から今問題になっているヨルダン、アンマン、そこに6ヶ月おりました。今いつもニュース報道、テレビなどで、仲間もいますので思いを馳せておるんですが、今実はものづくりからこの歳になりましたんで、なにか郷土のためにお手伝いできないかと思っておりますが、声掛けていただいたんですけれど、やはり新しい文化作りというものはどうやってやっていくか、というときにそれはやはり私は人作りだと思うんですね。人作りをどのように我々の世代で後に引き継いでゆくかというのが、私の最大のライフワークでして。

私自身5歳のころ立山の方から原爆の落下の瞬間を見ておりまして、あの落下、ファットマンというプリュトニウムの原爆がパラシュートにぶら下がっている瞬間を見ておりまして、それが私のすべての原体験であります。したがって「平和」というとちょっと大袈裟なんですが 実はこういう文化、長崎の文化、地元の文化を勉強する機会でもある、一言で言いますと今日ここにお集まりの皆さんはやはり I love 長崎 だという風に私は思っておりまして、どうやって長崎を好きだという表現を、先ほどブライアン先生がおっしゃったlike なのか love なのか、いずれにしてもI love 長崎だと、ただしLove is ACTION だと思うんですね。 どういう風に好きだという表現を、行動をとってゆくか...まぁ、そういう風に思っています。

私は長崎バカラでして、実は来週も東京で同窓会があります。300人くらい集まります。私がそこで訴えているのはシニアーになったらみんな長崎に帰れと、Return to Nagasakiいう運動を繰り返している。それから実は先週も私は日本イベント産業振興会ということで、いま世の中がハードからソフトへ転換している、しかも皆さんやはり勉強したいという意欲がどんどん出てきている、観光もただ見て歩くだけでは、癒しではだめなんですね、これからはこのような勉強会...これもひとつの大きな観光だと思うんですね。

この会が駅前の方に本当だったら、「今日ここでブライアン先生の話があるよ、文化バランスのことを考えるよ」というようなことをもっと面に出さなければならないんですね。そういうところがどうも長崎は下手なんですね。今日はメディアの方も見えているようだが、もっともっと発信を長崎からしなきゃならん、こんな良いことをされている...が、東京まで届かない。ということで Love is action アクションをどうするか、というのが私の今日の最大のテーマですね。

こういうところに、特に今日私は見てますと中学生や高校生も入っていいと、アメリカあたりでこういう風なシンポジウムがあると子供からおばあちゃんまで入って質問の時間になると2列か3列に質問者が並んでQ&Aをやるんですね。僕はそういう意味では長崎は非常にまだまだ新しい文化を創るという面、戦後50年、これまでのことは僕は評価されなければならんと思うんですね。長崎は静かだったと。この静かさに良さがあった。しかし長崎の文化というと一言で言うと異文化交流ですから、これを今の世界から見たら横文字のNAGASAKIは平和のシンボルなんですね。

先週も上海に行って来ましたが、ご馳走になりながら話してみるとみんな長崎に行きたいというんですね。原爆が落ちたことも知っている。原爆で苦しんだことも知っている。そして静かな街であることも知っている。というのも世界中いまはこれだけ慌ただしい世の中だから、殺伐とした世の中だから、このような静かな街で皆が仲良く平和に暮らしているというのはそれだけで世界の平和のシンボルになっていると思うわけですね。だからそういう面で今日はやっている。こういうことは継続しなければならない。参加者が一人でも二人でも構わない、やがて良いと思った人々が着いて来るんですから。とにかく続けなければならん。という時に、スパンとして文化というのは50年単位で考えなければならんと私は思いますね。

今までの静かな街長崎の文化50年、原爆が落ちて来年でやっと60周年になるわけですが、やはこれからの50年間で新しい長崎の文化をつくるためにどういうアクションを取ってゆくか、そして長崎が世界の聖地として、異文化融合の聖地として、世界中から長崎が平和な街で、明るい街、楽しい街であるというために、ひとつの橋渡しとして、今日のこの「教会と音楽」、私は教会と音楽というと少し絞りすぎちゃいかんと思うんですが、もっと楽しい素敵な街だという風なためのアクションをどうやって取ってゆくかということ、これが私の今日の課題です。皆さんのご意見を聞かしてもらいたという風に思っております。

柿森氏:
長崎の教会群を世界遺産にする会の柿森です。今、古い教会を群という形でまとめてこれを世界遺産に出来ないかということで、いろんな形で今周知活動をやっています。

今日のテーマなんですけれど、今日この集まりに来た大きな目的といたしましては、先だってバチカンでも言われたんですが、ただきれいだ、古い建物で、貴重な価値があるというその建物だけを世界遺産にするということは、それだけでは足りなくて、例えばその無形の遺産と言いますか、教会に内在しているもの、長崎の場合は隠れキリシタンなどのキリスト教に関わる無形遺産がある、そういうものをきちっとまとめて価値を見出すようなことが大切だと。このようなことに世界遺産委員会でも大変に興味を持っている。ということを言われました。

以前から私はこういうことを思っています、今から400年ほど前になりますが、長崎には聖体行列というものがあったそうです。3000人規模の信者たちが今のサントドミンゴ教会や、それから山のサンタマリア教会(現歴史博物館付近)あたりから巡礼としての聖体行列を行ったんだそうです。出来たらそうしたことを復元したらどうかと、もともとなかったものではなくて昔の長崎にもともとあったものなので、そうしたことを含めて文化の掘り起こし、キリシタン文化の掘り起こしということができなかな、そうしたことに取り組むことで世界遺産と併せて広がりを持たせることで、本当に世界に向けて発信してもおかしくない、世界に発信するためには本当にインパクトのあるものでなければ、世界遺産にもつながらないと思うので、そういう視点でこの長崎の教会群を世界遺産にするために皆さんの協力をいただきながら実現させたいという風に考えています。以上です。

杉岡氏:
東芝で定年を迎えましたあと、民間人の力で長崎の産業の活性化のために役立つという立場で現在、産業振興財団にいます。長崎に来て3年半になりますが、爆心地公園などでいろいろな宗教の方々が深い祈りを捧げていられるのを見て、よそでは見られない感銘を受けました。また原爆反対ということも市レベルで行われていて、平和を大切にする土地だなと感じています。

キリスト教徒が5パーセント近くいらっしゃるそうです。日本の平均が1%ですからそういう意味では信仰深い土地だと感じています。一方で、中学生が幼児を殺めるといった不幸な事件もありました。さっきキリスト教徒は5%だといいましたが、仏教で先ほど野下神父様がおっしゃるように一週間に一度祈りを捧げるというレベルでいくと仏教徒と呼べるのは1%もいるのかなと、お葬式と法事は仏教でやるけれども...といったところじゃないかと思います。

中学生の問題なんですけれども、原因は何にあったかということで調査が行われましたけれども、一つのシグナルとしてその中学生は共感性が低いということが出ております。人間はピュアな部分と欲とかエゴといったものが合わさって出来ていると思います。そのピュアな部分は宗教心が形作ってくるものだと思いますし、共感性を感ずるのは本音の部分で感ずるということで、心は宗教のレベルで解決を図らない限り多元方程式をいろんな現象を解こうと思ってもなかなか解けないでいる状況ではないかなという風に思います。

これは長崎だけじゃなくて神戸でも似たようなことがありましたし、関東ではルンペン狩りとかいう何の理由もない殺人事件などが起こっている、というようなところで、私の警鐘は野下神父もおっしゃったように長崎で始まりかけているとおっしゃったように、キリスト教はキリスト教でお祈りを深められて、子供の教育などでは問題ないと思うんですけれども、周りに広がっている無宗教の人々にもいい感化をあたえるようなことが考えられないかというふうに思います。

これは世界的に見ても、タリバンが大暴れして、キリスト教徒と争ったり、バーミアンの仏像を破壊したりしているんですが、彼らの教えによればイスラムに反する異教徒に対しては場合によっては命を奪ってもいいといった教えをかたくなに守るイスラム原理主義となると、今のグローバル世界の付き合いの中では付き合いきれないなぁというところまで行ってしまってます。

このあたりも神の普遍化の部分を取り出すことや、宗教の普遍化の部分を取り出すといったようなことは今後長崎なら出来るんじゃないかなという期待がある。宗教というのはキリスト教と仏教が日本では二大宗教のように言われていますが、私の考えではこのグローバルな時代を大きく考えて宗教というのは宇宙の教え、人がいかに生きるかという教えであると考えると、キリスト教も仏教も、その他の宗教も宗派、派閥といった切り口で考えたらどうなのかなぁと思います。世界で一つの宗教というものの普遍的な部分を取り出して考えてみる、そして各宗教の細かいいろんなことをやっている癖みたいな部分はどうでも良いと切り離すといったことから、最初提示された新しい文化ビジョンを考えてもいいのではないかと思います。以上でございます。

宮本氏:
私は長崎県内を地盤として建築活動をやっています。宗教は仏教です。それで教会でいろんなことをするという経験はないんですが仕事柄、私たちの仕事と言うのは生まれてから死ぬまでその間のいろいろな施設を作るというのが仕事ですから、教会カトリックの教会もあれば仏教のお寺さんもある、あるいは住宅もあれば事務所もあり学校もあると言う風に、年間を通じていろんなものの設計に携わるわけですが、その度その度ごとに初めてということがほとんどですね。設計をするにあたっては現地を見てどういうものを作るかということは今まで経験した、例えば住宅にしても住む人が違えばまた違う、そういう繰り返しで仕事をずっとやっているんです。

今日私がこの場にいるということは浦上教会の信徒会館、そして浦上教会のなかのパイプオルガンの設計・設置や、大司教様がいらっしゃるカトリック長崎大司教区本部の建物も縁がありまして私が設計したということでこの場にいるのかなという風に思います。ただ、じゃぁ、私がこの場でどういう話をしたらいいのかなぁと言うことになるんですが、「教会と音楽」まぁ、私は音楽の方は趣味ではやってますが、プロではない、ただ教会という固有名詞の建物がどういうものであるかということを考えてみるときに、やはり教会のなかで音楽ということになるとどうしてもグレゴリアン聖歌とかいうものを連想するのかなぁと。

建物というのはヨーロッパ辺りに行きますとほとんどが石造りの教会が大半ですね。そうすると反響、われわれの専門用語で残響時間と言うんですが、こだまするように声が響く教会がほとんどです。ですから、キリスト教の聖歌とかもほとんどがアカペラで歌っているのが大半だと思います。それもだんだん変わってきてオーケストラが加わってきて、アカペラの部分を楽器で演奏するという風に音楽も変わってきたんじゃないかなと思うんですが、いずれにしましても、じゃ、長崎の建物はどうなのかというと、長崎の教会で石造りのものはあまりないんじゃないかなと思います。こういうことからすると、特に浦上教会あたりは残響時間もさほど長くないし、大体普通のホテルより残響時間はあると思いますが、ほとんど宮廷のような残響時間で明瞭度も高いのではないかなぁと、やはり音楽というのは残響時間が長くなると明瞭度に欠け、盛り上がりに欠けますね。しかし残響時間が短くなるとほとんど声が響かないという結果になります。

「教会と音楽」というタイトルの中で長崎で音楽が奏でられればいいなと言う風に思って、少しでもお役に立つことがあればと思って出席をさせていただいた次第でございます。

司会:
今日はなぜこういった企画を考えたかという、企画をするに至った経緯について若干触れさせていただきます。私自身は十年近く音楽イベントを手がけて参りました。一番最初に教会の中でと最初から限定していたわけではなくて、小澤征爾さんを長崎にお呼びしたいという非常に単純な希望がありました。

それで財界の方などにお話をして、こういったことを何とかやりたいんだけれどということでご相談をいたしましたところ、音楽関係者の方にも何人かお集まりいただいてそれから約4年間に亘って毎月毎月集まりを持ったんです。実はそのときに小澤さんの意思としてはご自分は10年に一度爆心地公園で被爆の日に歌を歌いに来ておられるということが分かったんですね。じゃ、50周年目にあたる今度は浦上天主堂に来ていただくという企画はどうだろうかということを企業側とお話いたしました。

その時に座のなかにお一人カトリック信者の方がいらっしゃいまして、その方がまず教会の方と掛け合いに行かれたんです。ところがまだ何にも、企業も例えば資金が必要ですが、その資金の目処も立っていない、教会も必ず使えるとは決まってない、小澤さんの意思も判らない、そのような何もカードのそろっていない状況でしたのですぐには動けなかったんですね。で、そこに2年間ほどブランクが空いてしまったんです。ところがやりたいという気持ちに変わりはないものですから、どんどん話が進んでゆく、それでいよいよ小澤さんのOKが取れたという時点で、これはどうしよう、これは絶対浦上天主堂を使わせていただくということを頼み込まないといけない、その座の中におられたカトリックの方は自分が動いたときにすぐに動けなかったので、自分はもう責任は持てないということでその座から降りてしまわれていたんです。

私はその方からこういう経緯を辿ってお話をしていますというお手紙をいただいていたんです。それで私はもう一度その手紙に書いてある通りに辿り直しました。まずお電話を掛けてみますと「あの話はなくなったんじゃないですか?」とある神父様がおっしゃったんですが、「その時点ではカードが揃ってなかったので、今の時点で小澤さんの意志も固まってきましたので、こうしてお願いに上がりたいと思っております」ということから、その後大司教様を通じてそれから浦上天主堂と話が出来たんです。

実は私が一番最初にお話したカトリック教会の神父様は、逆にこういう提案をされたんです。長崎の教区はその当時まだ里脇枢機卿がいらっしゃいました。私がお話した神父様は同じ鹿児島の教区の里脇様とご一緒に枢機卿として長崎にいらしたときにご一緒に長崎にこられた神父様だったんです。それで長崎でなんとか大きな典礼のときにオーケストラを作ってもらえないだろうかとおっしゃったんです。そこで私は何ともすぐにはお返事できないけれども、何とかそういうお気持ちをカトリック教会側がお持ちであったら、何とかお力になりたいという気持ちがありました。

それが今から10年以上前のことです。私自身はそれを詰めきれずに今日まで来ていたんですけれども、昨年その神父様はスペインから帰ってこられてお会いしました。それでこれからもう一度あれに挑戦してみたいんだ、ということでお話ししまして、そしてカトリックセンターの神父様や野下神父様にお話をするという流れがやっと出来たところで、その深堀神父さまは途中で召されてしまわれて、私はちょっと遅かったのかなという気もあるんですが、きっと今も見守ってくださっているという気持ちがありまして、それで今回そういうことも含めて教会と音楽という大きな見出しをつけてますが、これは決して音楽に限定しているわけではなく、広く教会文化全体について考える機会にと思っております。長くなりましたがこういうことでございます。

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